『俺ガイル』を読んでいて。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を11巻まで読みました。
読了した後そこまで感想が出るわけではなかったんですが、色々な方の感想を読んでいて自分の読解力の浅さを知りましたよ……。
そこで思ったのは、雪ノ下さんって案外ヒロインしてたんだなということです。『俺ガイル』は、基本的にラブコメ成分が薄い作品だと思うんです。でも薄い中に濃い部分が必ず一個や二個あってそれが上手いこと表出しているといいますか。6巻前後から変化していった人間関係の中で、雪の下さんのラブコメ部分というのは意味深いものがあったんだなと思いました。まあ、そういう風に読めるということですか。
9巻くらいから抽象的な話とモヤモヤ続巻に引っ張るような流れに辟易としながら読んでいたんですが、そういう読み方もできるのならもっと楽しく読めたのにと思いました。

『俺ガイル』は具体性の強い作品だと思ってました。意識高い系を引き合いに出したり社畜な状況を出したりと。そういう部分が多いと作品の核になる抽象的な部分が出ると、途端に小難しいものを読んでる錯覚に陥ります。『俺ガイル』が抽象的になっていく理由にはレッテル張りのような強い言葉の表現を避ける意味合いが強いのかなと思いました。「主従」とか「従順」とか言葉を使うと人間関係を定義付けしてしまうので。あとは小説という媒体が文字媒体なのでアニメのように分かりやすくならないというのもありますね。アニメは頬が赤く染まったり記号的なので小説よりも分かりやすくなってるのかなと思います。あとは主人公の一人称でしかもその主人公が癖のある人間なので照れたり恥ずかしくなる部分で曖昧になるというのがあるんでしょう。

『俺ガイル』は主人公が葉山たちの関係や人間関係を攻撃したりする1〜5巻までの事象があって、そこから自分たちの人間関係の形やあり方に疑問を突きつけられグルグル紆余曲折しながら終局を迎えようとしています。その辺の構成は素直に上手いなーと思います。抽象的ですけどね(笑)。そうやって最後はタイトルの『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』に行くんだろうなと。
主人公たちを高校生っぽいと感じたのは8巻を越えて初めてですよ。
後半に連れて材木座がフェードアウトしてラスボスさんがどんどん出張るのが印象的ですね。ただ、ラスボスさんの問題提起っぷりが凄いんですけどね(笑)。

なんにせよ、次の巻および『俺ガイル』という作品の熱が最近また湧き上がってきたということです。
そんなことをつらつらと思いました。