ザックジャパンによせて

2014年FIFAワールドカップ ブラジル大会
日本代表、ザックジャパンとしてのワールドカップはのコロンビア戦をもって終わりを迎えた。終わってみると、長いようで短かかったな、という凡庸な感想がまず浮かんだ。ザックジャパンのメンバーが海外組が多くなってからは、Jリーグのサポーターである自分が力を入れて応援することはなくなっていた。去年行われたセルビアベラルーシに負けてからは、さらに関心が薄くなっていた(だからオランダ戦やベルギー戦の記憶も薄い)。
ただ、2014年に入り自分の応援するクラブが観ていて楽しいサッカーで勝ちだすと、サッカーに対する熱も大きくなっていった。普段はヨーロッパリーグはほとんど観ることはないが、ワールドカップの試合はできるだけ観ようと決意し、日本代表戦も5/27のキプロス戦からのトレーニングマッチは、集中を持って観ていた。結果は知ってのとおりだが、やはりこの結果をたたき台にしてここ一週間近くでたくさんの意見が飛び交っていることに思う。自分も批評や批判を目にしてきて色々と思うことがあったのでここに記していきたいと思う。
理屈が半分、感情が半分、均整がとれてればいいが。

自分たちのサッカー
ワールドカップ本大会が始まって、むやみやたらに取り立たされた言葉がこれ。
ザックジャパンで言うところの「自分たちのサッカー」は主導権を取るということ。これを間違えて理解して、日本のサッカーはポゼッションサッカーをだと思っている意見を目にした。主導権を握る、これはザッケローニ監督が代表選手発表会見で言ってたから、100パーセント間違いではない。そこら中で言われてることだけど、ザックが目指したのはバランスの取れたサッカー。攻撃だけでもない、守備でもない、ある意味かなり理想的なサッカーだともいえる(結果バランスを取れたことは少なかったけど)。だからザックジャパンが求めたのはポゼッションじゃない。前回大会がリアクションサッカーと呼ばれたうえでの今大会のキーワードはアクションサッカー。それを踏まえての主導権を握るということだと思う。

本大会
じゃあそれが三戦できたかという話になる。初戦は明らかにできていないように感じた。試合分析のような高等技術は持ち合わせてないので省略するが、主導権を握るということに関して言えば、全くできていなかった。ボゼッションどころの騒ぎじゃなかった。全くボールを触れてなかった。
攻撃に入るところの本田と香川が全くキープできず、何度もボールを奪われてディフェンスに戻るところで体力消耗していったように見える。
この試合を観ていて思ったことは、やっぱりこのチームの中心は、本田と香川だということ。二人のキープ力で攻撃へ切り替えれることができたのだと思う。それがこの試合、全くできていなかったと思う。原因として挙げられるのが、メンタルだったりする。

メンタル
最初の試合直後によく言われてたのが「メンタル」の問題だ。段々とその言葉は減っていったけど、まず言われてたのがこの言葉だった。やる気がないと言ってた元代表選手もいた(極端な例かもしれないけど)。自分もこの試合はメンタルが一枚噛んでると思ってる。
やる気が足りなかったのではなく、やる気がありすぎた。つまり、気負い過ぎてしまったということ。日本代表の良さはチームプレー、集団としての纏まりが欠けていたように思う。「俺がやらなくちゃ」「俺がやらなくちゃ」という自分がやらなくては、という気負い過ぎのせいで普段通りのプレーができなかったことが大きかったように思う。香川や本田のプレーを観ていて思ったが、お互いがお互いを信頼しすぎるあまり、他の選手にボールを預けるシーンが少なかった。長友を含む左サイドだけでプレーしているように見えて、「三人で決起集会をやった」という香川のインタビューを思い出していた。三人で相手を崩そうと思っても、自分たちはコートジボワールじゃないんだからそれはどだい無理な話だ。
結果、敗戦。メンタルの問題による自滅と言っても過言ではないような負け方だった。故の、「自分たちのサッカー」という言葉が出てきたのではないかと思う。ここから「自分たちのサッカー」という言葉が後を引くことになるのだが。
そもそも、なにをもって「気合が入ってる」と言うのか甚だ疑問ではある。球際に強く行ってることなのか、最後まで走り切ることなのか、兎にも角にも必死な形相を浮かべることなのか。選手それぞれに持ち味があり、ただ無暗に走り回っても体力を無駄に消費するだけなのに、すぐに「気合、気合」と言いだす人間はなんだんだろうと思う。気合を内に秘める人間だっているだろうし、そういうケチを付ける人間は人の心が読めるテレパスなんだろうと思うことにする。

内田篤人
今回のW杯は、ほとんどの選手が叩かれる中で唯一と言っていいほど賞賛されたのが内田だ。彼の積極的な攻撃姿勢や献身的な守備は試合中、随所に光っていた。守備面に関しては目立ってしまったという表現の方が正しいかもしれないが。
W杯前のテストマッチの状態を観ていれば、右サイドバックのファーストチョイスとしては酒井宏樹の可能性も五分五分といった位だったが、見事にコンディションを合わせていった印象があった。攻撃参加の量は左サイドの長友の方が多かったかもしれないが、工夫は内田の方が見られた。そこの部分で比較されるのも、またかわいそうな話だと思わなくもないが。普段通りのプレーというものが一番出来ていた選手である。

本田圭佑香川真司
賞賛された選手は少なく、バッシングを受ける選手の方が多い。これが負けたという事実なのだろう。特に香川は、テストマッチで復調の兆しを見せていただけに初戦から精彩を欠くプレーが目立ち、観ているこちらもやり切れないもどかしさを感じた。期待とは観ているこちら側の自分勝手なものなのだが、なかなかそれを止める方法が難しい。
今大会の敗戦は、二人の不調が原因とも言われている。分からなくもない。このチームは本田と香川を中心にしたと言ってもいい。特に本田にはそれが当てはまる。今大会、三試合でスタメンからフルで出場した中盤のプレイヤーは本田ただ一人ではないだろうか。三試合では、中盤か攻撃陣の面子は固定されることはなかった。中心選手という言葉は借りずとも、本田がキープレイヤーであることは誰もが納得するところだった。実際に本田は気を吐いていた。それがテレビから伝わってきた。気合いというものがいかに曖昧なものかは先述したとおりだが、ボールを必死で追いまわす本田にはその気合いがあったように見えた。ただ、自分にはそれが無駄走りにしか見えなかった。オシムが言うところの賢く走ることには見えなかった。香川に関しては、以前からメンタルの問題を取り上げられることも多かったために、今回もそのような結論に達していた。まさか2014年になってまでメンタルという言葉をこんなにも盛んに聞くとは思いもしなかった(メンタルの重要性を説くのは理解できるが、気合いが足りないという戯言が解せない)。
1次リーグ最下位でW杯を終えた日本代表をスポーツ新聞は大バッシングで迎えた。その一面で祭られていたのが本田圭佑だった。本田は今大会、どのメンバーよりも結果としては残しているが、それがエースという役目なのだろう、という意見を目にして納得した。優勝宣言など過去の態度が火をさらに燃え上がらせた一つになっているのだろう。日本代表メンバーが本田の話題を出すとき、メディアの前の彼と実際の彼にはギャップがあるという話をする。本当の本田圭佑がどんな人間かなんてのは観ているだけでは分からないだろうし、熱心な本田ファンでもない自分には全く分からないだろう。ただ、「優勝」を目指すのは自由だ。もちろん、選手全体で意思疎通をしていかなければいけないが。

本田圭佑とは特別なプレイヤーだと思う。中田英寿以来の屈強なフィジカルを持つ中盤の選手である。元来、日本のサッカーの強みは敏捷性、個人技に頼らないチームプレー、足元の技術が挙げられていた。中田英寿はこの日本人という枠を広げた選手だと思う。しかし、本田はこの中田の広げた枠に入らない。枠を壊す壊さないではなく、元より日本人離れしていると言っていいと思う。だからスターとして光を浴びることもできたのだと推測している。しかし、本田がスターでは駄目なのだと思う。本田のような選手が日本から現れることは今後極めて少ないだろう(もちろん出てくれれば嬉しいことこの上ない)。そんなとき、フィジカルを武器に出来る人材を求め、本田の影を追っても日本は強くならないだろう。もちろん、本田が悪いわけではない。しかし、自分が観ていても本田に架せられた役割は多いように感じた。ボールキープ、パスの中継地、裏へのパス、前線からのプレス、ゴール。かといって本田はそこまでパスが上手い選手ではない。だから、そんな本田が言った「優勝」というの二文字は並々ならぬ決意だったと思う。そんな選手の言葉をただのビッグマウスだと自分は断罪したくない。

「世界との差」という妄言
日本が初戦で負けてからは、なるべくニュースなどは見ないようにしていた。そこで語られる言葉に苛々してしまうからだ。ワイドショーなんてその最たるものだった。バラエティーのようなものだから仕方ないが、変に視聴者へ知識を提供してるだけあって主体的に見ることはなかった。が、ワールドカップブームだからか、それでも目に入るほどの敗戦分析や試合解説。目にして気になったものが幾つかあった。

まず、最近のメディアの特徴かよく分からないが、他国のサッカー専門誌を取り上げ講評する。今大会であれば、ブラジルの地元紙。香川のマンチェスターUの試合だったら、英紙。本田だったら伊紙。サッカーというスポーツに歴史と含蓄のある外国のサッカー専門紙を取り上げて日本人選手を批評する。いつ頃から始まったかは知らないけど、最近ネットを中心にメディアそのものが叩かれることは目にするけど、叩かれ過ぎて頭がおかしくなったのかと思った。自分たちのサッカー眼を信じろよ、と。サッカー選手だって自分を信じてるのに、それを報道して伝えるメディアが自分たちを信じてなくてどうするんだよ、と。プロ野球の記者が書いてるのかと勘繰りたくなる。日本人は割と権威主義者な傾向があると個人的には思ってるけど、外国の記者にまで手を付けるとさすがに育ちが悪いと言わざるを得なくなる(笑)。メディアが頑張っていかないことにはエンターテイメントは盛り上がらないと思っているので、自分たちの言葉で頑張って欲しい。

「世界との差」という言葉もよく耳にした。理解できるが、理解できない。この言葉は使いやすいが、全くもって意味を成さない言葉だと思っている。
それを説明するためのキーワードは「チームのサッカースタイル」だ。自分たちのサッカーと置き換えても問題ない(むしろその方が通りがいい)。それぞれの国に、それぞれのサッカースタイルがある。ギリシャは堅守速攻のチームだと称された。スペインはポゼッションサッカーと称された。韓国はフィジカルサッカーと称された。それぞれ自分たちのスタイルを持っている。確かに、選手個々の能力の差はあるかもしれない。だけど、サッカーは個人の競技ではない。チームスポーツだ。長身のフォワードがいるチームはその選手をターゲットマンにする自分たちのスタイルを作るだろうし、敏捷性のある選手が多いチームはスピード感ある縦の動きをするチームを作るだろう。最後の部分は個対個だと言われても自分はそうは思わない。サッカーはチーム対チームのスポーツだ。
今までは「世界基準」という言葉が流行っていた。ヨーロッパ基準を世界基準と言い換えたものだったが。この「世界基準」はレフェリーの質やスタジアムの立地や観戦する環境のレベルを上げていこうと言うものだと記憶している(他にもプレーがどうのこうの言っていた記憶もあるが)。これは、ある程度分かるものだ。ある程度は。Jリーグの良さはスタジアムに老若男女どんなひとでも行くことができる点だ。欧州はそういう文化がないと聞いたが、分からなくもない。よくヨーロッパリーグJリーグを比べて、サポーターの雰囲気にケチを付けてくる人間がいる。負けたのに拍手してる、一体感が足りない、そんな意見を目にすればするほど溜め息が出る。JリーグにはJリーグのスタイルがあって、それが良さに繋がっている。ガラパコスにはガラパコスなりの良さがあるのだ。もちろんスタジアムの観戦環境が悪過ぎても話にはならない。トイレの数や、雨対策などが杜撰過ぎたら笑いにもならない。しかし、世界に追いつくために追い越すために自分たちの良さ、その個性を消してはそれこそ意味のないものになってしまう。
よそはよそ、うちはうちだ。内田篤人がグループリーグ敗退のときに語った「世界は近いようで広い」と。決して縦に差があるわけではない。横の幅の難しさ、課題だと。もしかしたらその難しさは、いつか経験という歴史の糧によって解消される問題かもしれない。

結果論でしか語れないほど空しいものではないはずだ
サッカーは結果論とは切っても切れないスポーツだと言える。厳密にはサッカーだけではなく日常生活全てに言えることではある。「結果こそが全て」という言葉に集約されるように。自分たちの日々は、結果というものが常に付きまとっている。結果とは過程なしには存在しないが、この世界は結果の連続性で地続きになっていると考えている。
サッカーの勝敗予想は確かに盛り上がる。試合中も盛り上がる。しかし、それは結果という目的地に向かっているプロセスだ。結果がなければ盛り上がることもなく話題にもならない。私たち観ている人間は、結果がなければ何も語ることができない。それだけ書くと、少し残酷なもののような気がしてくる。
サッカーが勝ち負けを前提に成り立っていて、ワールドカップという舞台が勝負事な以上は、結果が重要だ。全てだと言ってもいい。しかし、全てだと言い切れないし、言い切りたくない。
サッカー、いやスポーツは、観ている人々に何かを与えることができる。喜び、怒り、涙、楽しさ、感動、興奮、歓喜。決してプラスなものばかりではないだろうが、観ている人間に訴える、心を動かす何かがある。だからサッカーに惹かれていくのだ。そこがスポーツの魅力だろう。凄さだろう。結果が全てだと言い張り、結果しか意味がないと言っている人間は一生totoのシートとでも格闘してればいいと思う。そんな数字しか見ていない人間は、ただ日本代表を叩きたいだけか、議論を放棄し相手を論破することに必死なのか、もしかすると、スポーツの一番大切なところを忘れてしまった人間なのかもしれない。スポーツの素晴らしさは、過程にこそ存在する。

ワールドカップは四年に一回、サッカーに触れることのできる大きな機会だと思う。今大会は、毎試合毎試合テレビで観ることができるし、ここまで充実したワールドカップも珍しいと思う。これを一つのきっかけにしてサッカーというスポーツに興味を持って楽しんでもらいたい。なぜなら、そこには観ている人間の想像を越えるプレーが数え切れないほどあるのだから。
ワールドカップからJリーグを観るでもいい、ブンデスリーガをを観るでもいい、プレミアリーグを観るでもいい。サッカーの楽しさを知って欲しい。そして、もっとサッカーを観てみようかなと思ってくれればワールドカップもその意味を全うするのではないかと思う。

最後に
ザッケローニが日本を去った。空港でも少数のサポーターと握手や言葉を交わしたそうだ。こんな辺境な日本に来てくれたこと、そして日本人に深い理解をしてくれたことは感謝してもしきれないだろう。最後までサポーターに愛された素晴らしい人格者だったと自分は思う。
本大会の三試合の結果で今まで積み重ねてきたものが瓦解するわけではないし、それは今日まで歴任してきた代表監督にも言えることだ。これからも日本代表は続いていく。ここが結果という終着点ではない。ベスト16に入ったからゴールでもないし、グループリーグで敗退したから終わりではない。負けたら次に活かせばいい。過去を振り返りながら未来へ向くこと、それだけだ。
過去がいつか報われることをを信じて、選手はサッカーボールを蹴って走り続ける。そして、サポーターは選手たちを応援し続ける。そこにサッカーボールと人がいる限り、サッカーが終わることはないし、日本代表が終わることもない。