舞台『ユニコーン』の忘れられないまあやの一コマ

2019年1月に上演された舞台『ユニコーン』。まあやが出るというので2回ほど観に行きましたが、「舞台」というよりはコント色の強い「コントライブ」のようなものでした。

今になって調べてみると、正式には「MASHIKAKU CONTE LIVE ユニコーン」とされています。それをなぜ「舞台」だと思っていたのかといえば、まあや本人が「舞台ユニコーン」と言い続けていたんですよね。その影響を受けて、「舞台」だと思って観に行っていたということになります(笑)。

 

 

ユニコーン』を観に行った時、「舞台」という思い込みがあったので、観客なはずなのに妙な不安と緊張感がありました。

不安要素の一つには、ちゃんとまあやが台本を覚えているだろうか、という余計なお世話的なものがありました。

何様だよとは思いつつ、本人も心配していたので、こちらも心配要素が日に日に大きくなりました。乃木坂内でのミスなら本人のキャラクターがまだ浸透してる分、観ていられますが、外での仕事、しかも「舞台」と言っていたので心配要素は大きかったです。

「笑いの占める要素が多い舞台なんだろう」とは予想しつつ、でも台本の重要性は高いだろうと思ってたので緊張感もありました。なにせ、自分以外のなにかを演じなければいけないので「これは大変だぞ」と。

 

元々、まあやは自分からおもしろいことを言うタイプというよりは、なんかおもしろくなってしまうタイプの人だと思っているので、作り上げられたコントを自分がアレンジしておもしろくするというのは本人のタイプに合ってないんじゃないかという思いもありました。

そんな諸々の不安はありつつも、公演が終わると色々な発見がありました。

 

 

観劇して分かったことは「コントライブ」とは称しつつも、形式的には「オムニバスのコントライブ」だったということです。

コントライブ」というもの自体、基本的な形式はオムニバスなのかもしれませんが、普段観ることはないので結構意外ではありました。

1本だと思っていたコントの数は、全体の数で言えば8から9本もありました。

アヴァンギャルドなコントから、バカバカしいナンセンスなコント、濃いパロディのコント、幕間のVTR含めて大喜利もあり、様々な演目が上演されました。MASHIKAKUは放送作家や映像作家、音楽作家が集まる集団とのことですが、その集団に相応しいバラエティに富んだ内容となっていました。

まあやの出番はというと、そこまで多くなく少なくもなく、ちょい役を含めれば4つくらいのコントに出演していました。台詞もそこまで多くなく、ただ演じる役が多いので、「笑わせるためにどれくらい役からはみ出たらいいのか」とか、本人は色々考えながらやったのかなと想像を巡らせながら観ていました。

観ている方にとっても、1つの「舞台」を観るよりは、沢山の「オムニバスコント」である方が、1つ1つのネタを観る気持ちが軽くなり、リラックスして観ることができました。

不安要素はありましたが、「オムニバスコント」だと分かった時点で、懸念していた諸々の部分はほとんど払しょくされているように感じました。

そして、タイトルの『忘れられない一コマ』というのは、2回目の観劇、千秋楽でのことです。

 

 

千秋楽では、あまり色々と考えずにリラックスして観ようと思っていました。『忘れらない一コマ』は、OP映像の後の一発目のコントで訪れました。

(便宜上タイトルをつけるならば)『さっさ祭り』というコントで、とある番組のリポーターがとある街を訪れる場面からコントが始まります。

ステージ上手に円状のテーブルが置かれていて、そこに色々な食品が乱雑に置かれています。そして、その周りをお祭りかのごとく何人かが踊っています。

リポーターが下手にいる街の代表者にインタビューすると、この街ではありとあらゆるものを盗むことが許容されていて、あらゆるものを自分たちで調達していることが明かされていきます。

最終的にはリポーターもその空気に感化され、体に着ていた服やネクタイ、身ぐるみを剥がされて、パンツ一丁になって終わります。

まあやは町娘役で、リポーターの身ぐるみを剥がす役でした。もう一人の町娘役と2人でリポーターを挟み、町の代表者からの紹介を受けた後に、身に着けているものをさっさと盗っていきます。

もう一人の町娘役の人が(たしか)最初にメガネをとります。まあやは最初に腕時計をとります。これは一回目の観劇でも同じでした。次に、もう一人の町娘役の人がネクタイをとります。まあやは腕時計がとれません。次に、もう一人の町娘役の人が靴をとります。まあやは腕時計がとれません。次に、もう一人の町娘役の人が靴下をとります。まあやは腕時計が一向にとれません。

そこで大きな笑いが起こります。

お客さんの頭に浮かんだ言葉は、「千秋楽なのに、そこでつまづくの???」だったんじゃないでしょうか。

大きな笑いは爆笑になり、会場は拍手笑いが巻き起こっていました。

「すごいなー」と思いながら、自分も笑っていました。

この場面、この一コマは今でも頭に刻み込まれています。まあやの凄さっていうのは、そういうところだと思っています。頭に刻み込まれる「強烈さ」というか、またあの場面を観たいと思わせる不思議な魔力がありました。

 

2020年1月、同じMASHIKAKUが公演する『MASHIKAKU CONTE LIVE リンドバーグ』にまあやの出演が決定しています。

このライブがどうなるかは分かりませんが、笑い溢れるライブになることを願っています。(もちろん自分も観に行きます)

2019年の神宮ライブを振り返りながら、最近の乃木坂46のことを語ってみる試み

2019年の明治神宮野球場の3日間が終わりました。

3日目の最終日は「キャプテン桜井玲香 最後の活動日」とされており、それに伴いライブ・ビューイングが開かれました。全体ライブを観るのは、西野七瀬卒業コンサート以来でしたが、そのとき同様にあまり高い熱はなく、ぼーっとしていながら観ていました。が、観ていると色々思うところが出てきて、ちょっとライブの感想がてら記録として、それらの印象や最近思っていたことを文章として残してみることにしました。

 

 

1. Overture

2. ガールズルール

Overtureは基本的にはいつも通りで、神宮ラスト桜井ラストということもあって、部分的な変化があったのかもしれません。Ovetureが終わると白石が登場し、「え、ガールズルールから?」と驚いていたらすぐに曲が始まりました。

「ガールズルール」で始まると、「2019年の夏」という感じがしないので、どうなんだろう? とも思いましたが、白石はあまりグループ全体としての活動も少ないので、まあアリかと。最終的にはそこに落ち着きました。

 

3. 太陽ノック

4. 夏のFree&Easy

5. 裸足でSummer

MC

なんなんだろう、この焼き増し感は……。今が2019年だと思えないくらい、ここ3年なにも夏の楽曲を発表してないような流れ。「太陽ノック」も「夏のFree&Easy」もセンター不在。飛鳥と堀が埋めていたとは思いますが、どうあっても過去の面影を見る構図はどうなんだろう、と。

基本的に、乃木坂の選抜制度はドラマ装置だと思っているので、あの時のあの曲で〇〇は選抜入ってたなとか、そこが観るべきところであって、今年の夏曲から選ばれたメンバーがパフォーマンスしても、なにも感じないというか……。まあ、毎年思うことではあるんですけどね。

そんなことを考えたらMCになっていました。

MCはいつも通りのゆるふわ空間で、白石松村が楽しそうに話しているのはなんかいいねといった感じでしょうかね。そんなこんなで次のパートに入っていきました。

 

6. 三番目の風

「三番目の風」の功罪ってあるよなあ……。なんてことを考えてました。この曲で3期生の人気に火がついたと思いますが、ある程度の時間が経過すると、「結局この一発のブースターがまだ続いてるだけなんだよなあ」に変わってしまうんですよね。短く纏めると、「まだ3期生でまとまってるの?」っていうことなんですが。

選抜に入ろうが入らなかろうが、各々が確立した存在にならず、結局まとまることでしか自分たちの力を出せない。いつまで経っても「乃木坂46 3期生」が付いて回る。

3期生の誰かが「わたしは乃木坂46 三期生になりたかったんじゃなくて、乃木坂46になりたかったんです」っていう、自己批判のできるメンバーが出てこないかなと思ってるんですが、一向に出てくる気配はないですね。3期生は楽しそうに踊ってましたけど。

 

7. 4番目の光

3期生4期生ブロックがあるというのは、事前にちらっと入っていたんですが、ここなのかと。ちょっと気だるげに観ていました。

ほぼほぼ興味ないんですが、この3期生4期生ブロックを楽しめるファンもいるわけです。ここが、今の乃木坂の難しいところなんですよね。

1期生から4期生までがグループにいることで、グループ全体が肥大化、複雑化していることは確かだと思います。その中で1つのグループを観ているのに、楽しみ方が分割されているんです。多様化ではないと思います。1期生や2期生を自立した女性と考え、その一人ひとりの言葉や行動を追っているファンと、4期生や3期生をかわいらしい存在と捉えて、叫びながら楽しめるファンもいるわけです。(実際、隣にいた高校生くらいのファンは立ってサイリウムを振って叫んでいる後者でした)

1期生から4期生まで全員がアイドルですが、どう観られているかは違うと思います。3期生が加入しただけなら「混在」だと思いますが、4期生まで入ると、もう「分割」なのかなと。そんなことを考えてました。

 

8. トキトキメキメキ

9. キスの手裏剣

3期生と4期生がまとまらなければ自分たちを表現できない、みたいなことを言いましたが、実際にはプラスになっている面もあると思います。それは、3期生4期生のブランド化です。

いつか1期生がほとんどいなくなった時に、「あの3期生」「あの4期生」としてあとから入ってきた後輩の前に立てるわけです。これは大きいです。実際に4期生のメンバーの多くは3期生を観て乃木坂に入ったわけで、この狙いは現状でも多少は成功している感触があります。

パブリックな乃木坂のイメージは1期生の何人かが持っているので、そのメンバーが卒業すればパブリックな乃木坂のイメージはある程度失われるでしょう。ただ、そこで身内の人気も落とすわけにはいきません。身内の人気を維持するために、1期生が活躍している間にブランド化を進めなければいけない事情があるのかもしれません。

3期生は、4期生と一緒に扱われていることに悔しさを覚えても面白いと思うんですけどね。3年もやっているのに、なぜまだ新人扱いなんだと。そこに奮起しても面白いとは思いますが、楽しい曲なので楽しく踊っていました。

 

MC

3期生4期生のMCブロックは梅澤でした。MCのイメージがあって、実際に観たの初めてか二回目くらいでしたが、あんまり上手くないなと思いました。

ある程度の印象の話です。

緊張してないことを出そうとし過ぎるがあまり、裏返って緊張しているのが伝わってくるんですよね。まず、喋るスピードが速い。よどみなく喋れているというよりは、余裕がひたすらないように感じました。誰に質問するか、どんな質問をするか、どんな風に纏めるのか、すべてが決まっているようで、大丈夫か? と気になってしまいました。桜井のMCだって物足りなさは感じますが、安心感みたいなものはありますからね。そこら辺がなにもなくて、逆に3期生4期生は不安だったんじゃないのかなと。これは邪推なりますが。

 

10. 自由の彼方
11. 他の星から
12. 白米様
13. 自分じゃない感じ

1期生2期生パートないのか……と思いつつ、ユニットコーナーへ。

「自由の彼方」は、笑いに走らない堀を観た気がしました。

「他の星から」は飛鳥と遠藤さくら。直近のセンター同士という話題性のありそうなユニット。飛鳥が後輩とのパフォーマンスの差を観客に見せる構図にも見えなくはない。ただ、直近のセンター同士なのでユニットを組む流れは理解できる。上手くやってるなと。やっぱり自己プロデュース能力あるんだなあ、なんて思って観ていました。色んな要素がありつつも構造的にまとまっているのが、ニクいですね。

「白米様」は真面目半分おもしろ半分。良いバランスでした。純奈と久保の組み合わせがアンダーライブを思わせていました。

「自分じゃない感じ」は暗闇で靴を光らせる演出が、全身を観れなくてもったいないと感じさせるほど見応えのあるパフォーマンスでした。中田とまあやはもちろん、阪口もよかったです。阪口は教科書通りのダンスという印象があったんですが、段々と自分のパフォーマンスの枠を広げているのかなと思ったりしました。5人が広がるところで若干まあやが広がり切れずに阪口と被っていたのは、阪口ファンごめんなさいという感じでした。真反対の中田さんは正確でしたね。さすが。

 

VTR
14. インフルエンサー
15. 命は美しい
16. 何度目の青空か?
17. シンクロニシティ

選抜パート。中田のいない「インフルエンサー」はいまいち盛り上がらんなあ……と。「命は美しい」あんまり好きじゃないんだよな……と。「何度目の青空か?」の生田は完全にモノにしているな~と。

シンクロニシティ」だったと思いますが、松村の表情がシンクロニシティの感じを出していて、センターやっちゃえよと思いました。


18. 滑走路
19. 日常

アンダーパート。まさか2曲で終わるとは思いもしませんでしたが……。「滑走路」も割と好きなんですが、すっきりポップは盛り上がらないんだろうなと。「日常」に比べての差に「うーん」となってしまいました。歌詞や曲中に「ヘイ!」という言葉がないと盛り上がれないファンもそれなりにいるのかなと。結構な偏見ですが、だから新曲もあんな感じになるんだと思います。これも「三番目の風」の功罪と言い切れなくもないんですよねえ……。

「日常」は良かったですね。松村同様、北野もセンターやっちゃえよと思いました。中田や絢音ちゃんも良くて、カメラワークがもうちょっと、もうちょっと……という感じでした。


20. あの日 僕は咄嗟に嘘をついた
21. ここにいる理由
22. 不等号

ここは、なんなんでしょう……。いるんだろうか……? VTRで自分たちの曲を「名曲」と言っちゃってるのが、まずスベってるし、どうしたものか……。

アンダー曲をそのままやるのではなく、選抜メンバー含めた構成でパフォーマンスする。これ自体、アンダー曲を取り上げてくれたと捉えることもできますが、ちょっと難しかったですね……。

センターすら選抜メンバーが務める。在りし日の井上小百合伊藤万理華だったら裏で悔し泣きしてるんじゃないかというような采配だと思いました。もう少し意味のあるユニットだったら、それなりに観れる形になったとは思うんですが、そういうこともなく。難しかったですね。「原作レイプ」って怒り出すファンがいても不思議じゃないような光景でした。

九州シリーズを観て以来、「ここにいる理由」の絢音ちゃんのパフォーマンスが好きなので、それが垣間見れたのはよかったです。

中元日芽香がセンターとして立っていた「不等号」に、齋藤飛鳥がセンターとして立ってる。これは好きな采配でした。「君は僕と会わない方がよかったのかな」の方が有名だと思うんですが、どうして披露しなかったのかは気になりますね。飛鳥が遠慮してたりして……と頭によぎりました。新内の間奏付近のダンスが微妙だったのがはちょっと残念でした。一応はオリメンなので。披露する機会も少ないでしょうが。

中田のダンスはやっぱり見応え抜群で、すごいなーと毎度のことながら感服してました。ちょっとアニメっぽいんです、中田のダンスは。腕の角度と動かし方、どのくらいのコマ数で動かすとか、どのくらい考えてるんだろうと想像してしまいます。その上で機械っぽくないんです。感情は乗ったうえで正確に魅せるところは誰よりも魅せるので、「感服」以外の言葉が見つからないですよね。

 

VTR
23. 僕のこと、知ってる?
24. そんなバカな…
25. ハウス!

ここら辺からどんどんテンションが下がってきます。

「僕のこと、知ってる?」をさも美しい曲かのようにVTRを作っていましたが、選抜しか歌ってませんやん……。

少し前の乃木坂工事中もそうですが、選抜とアンダーの隔たりはまた生まれたの? と。そこが最近の乃木坂の結構しんどいところなんですよね。選抜とアンダーが互いに切磋琢磨していたあの時間はなんだったんだろうと。虚しさすら覚えます。

20~22シングルのアンダー曲の扱い方からも分かるように、あんまりアンダー自体に製作サイドが興味を持っていないんだろうと思います。一つ前のブロックでもそうですが、そういうのが時折うっすらと出てくるのがしんどいんですよね。

 

MC
26. 世界で一番 孤独なLover
27. スカイダイビング
28. おいでシャンプー

飛鳥のドラムから、最後のブロックが始まりました。「乃木團」がすぐに頭を浮かびましたが、中田とまあやは最初から頭数にも入っていないだろうとすぐに悟りました。もちろん、飛鳥の腕に2人が付いて行けないだろうというのはありますが、でもこれは最初から飛鳥を目立たせる仕組みだなと。もっとメンバーで色々とやってほしいんですけど、そこまで飛鳥プロパガンダを見せつけなくてもいいのになあ、とは思いましたね。

おいでシャンプー」は、桜井と中田との絡みが観たかったです。生田生駒星野というフロントの次に考えられた桜井生駒中田というフロント。結果から見れば、生田生駒星野という体制が続いていくわけですが、桜井生駒中田に可能性を感じたのも確かだと思うんです。だからもっと大切に扱ってほしかった。間奏開けの飛鳥が桜井に向けたコールは素晴らしいものだったかもしれませんが、飛鳥にしてほしいのはそういうものではなくて、演出を多少無視してでも中田と桜井をくっ付けたりするようなところを観たかったですよね。かなり無茶なことを言っていますが。

 

29. ジコチューで行こう!
30. Sing Out!

ラストは飛鳥センターの2曲で締めて終わりました。「ジコチューで行こう!」を観ている時は、飛鳥の出番多いな……というのが一番頭に浮かびました。

飛鳥プロパガンダとか言ってますが、結局は飛鳥がこの真夏の全国ツアーではセンターなわけで、センターが大活躍したと考えれば、全然問題はないわけです。

でもふと思ったんですよね。この依存にも似た形は西野七瀬で観たことあるなと。

去年の年末に活動を終えた西野がバースデーライブや乃木坂46のドキュメンタリーにおいて主役級の扱われ方をする。卒業したのにも関わらず、変わらぬ強い依存度。このライブのドキュメンタリー映像部分にも西野の部分的に使われていました。人気があるから依存してるのか依存してるから人気があるのかは分かりません。

ライブにおける西野は真夏の全国ツアーのセンターを務めることが頻繁になかったので(1回程度?)、このライブの飛鳥ほど「出番が多いな」と感じることは少なかったと思います。どちらかというと、要所要所でセンターに入りパフォーマンスで魅せる、といった感じでしょうか。ここで言う「依存」に似た形は、真夏の全国ツアーよりも、むしろバースデーライブのたびにソロ曲を何度も披露している時に感じていたと思います。

飛鳥に目を移すと、飛鳥センターの真夏の全国ツアーは今回で3回目。これは、かなり多いと思います。2016年、2018年、2019年。直近のライブのほとんどが飛鳥です。そして、飛鳥の場合は卒業生のセンターポジションにも入るは、自分がセンターの夏曲もあるは、どうあっても目立たざるを得ない。これでは後半になるにつれ、どんどん印象として強くなるのは当然です。

とどのつまり、なんで飛鳥センターで真夏の全国ツアーを回ろうと思ったんだろう? ということですよね。

2年続けて真夏の全国ツアーをセンターとして回れば、よりグループの看板役者として印象付けることはできると思います。でも、それは「内側」に対してだけです。新規にファンになった人間にとって齋藤飛鳥が凄いんだと明示させることはできるでしょうが、個人的には同じことを繰り返しているだけに映ってます。

大切なのは飛鳥をより主役に主役に立たせることではなくて、ポジションや役割に関係なく、3期生や4期生にとっての導き手にもなれるんだと思わせることではないんでしょうか。そして、そういったプロデュースのようなものが必要なんじゃないでしょうか。

2017年の事例を考えれば、4期生が真夏の全国ツアーのセンターを務める可能性もあったわけです。それよりも、どうしても「夜明けまで強がらなくてもいい」を4期生にやらせたかった理由はあるんでしょうか。4期生をファンに向けてアピールするなら真夏の全国ツアーが相応しい舞台だとは思います。それ以上のプロモーションがこの後に待っているとは現状思えないんですけどね。

ただ、「Sing Out!」という曲を考えると、飛鳥が適任なような雰囲気もあります。

ここの部分は解釈や様々な事情が入り乱れている部分だと思うのでこれ以上の言及は避けておきます。言い出したらキリがなく何通りも答えを出せると思うので。

ただ一言いうならば「Sing Out!」のパフォーマンスは「やっちゃった感」がありました。

謎のパリからの中継映像。なぜ中継を入れるのか? なぜパリなのか? パリで人種関係なく踊るのは分かります。ただ、あの場所であの人数で踊る意味はあるのか? 恥ずかしくなって直視できませんでした。

 

アンコール
VTR
31. 時々 思い出してください
MC
32. 夜明けまで強がらなくていい
33. ロマンティックいか焼き
34. 僕だけの光
MC
35. 乃木坂の詩


ダブルアンコール
36. 会いたかったかもしれない
MC

 アンコール以降のことは特に書くべきこともなく、お疲れさまでした。という感じでしょうか。

ちょっと話が逸れます。

乃木坂46というグループは隔たりが生まれるグループです。これはもう、初期からずっと続いているものです。ただ、隔たりはあっても中にいるメンバーはメンバーに対して隔たりを作るようなことはしないんですね。仮にあったとしても、それは融解していって歴史となりメンバー同士の調和を生んでいます。

組織の中で隔たりを作られようが、相手を思いやり肯定する。

その美しさみたいなものが乃木坂46にはあるんだと自分は思ったわけです。

乃木坂46というグループが肥大化、複雑化していく中において、ファン一人ひとりが考える「自分の好きな乃木坂46」というものが生まれているんだと感じます。それぞれの好きな乃木坂46ということにおいては色々あるとは思いますが、自分の場合は上に挙げたことだったりします。

だから巷でよく言われるような「〇〇が乃木坂を礎を作った」とか「△△がいなかったら今の乃木坂はない」とか、あんまり考えたくないんですよね。みんなで乃木坂だと思うので。

だから、アンコールの際に1期生で桜井を囲めばいいのに、わざわざ選抜とアンダーを露骨に分けるやり方をするのにはゲンナリします。桜井が「夜明けまで強がらなくてもいい」に参加した経緯として「思い出を作りたかった」みたいなことを言っていましたが、桜井にとっては思い出の場所でも、現メンバーにとっては闘いの場所だと思っている人間もいるはずです。だから、その辺のことを考えるとモヤモヤするんですね。

もちろん、桜井がいなくなったとしても、そこに席があるわけではないことは分かってはいますが、その言葉はいらなかったかなとか思ってしまいました。

キャプテンというのは難しい役職だと思います。今、言ったようにすぐに揚げ足を取るような人間が多いからです。その中で、8年間キャプテンとして居続けたことには、やっぱり「おつかれさまでした」という言葉が相応しいと思います。

やはり、桜井玲香というキャプテンがいてこその乃木坂だとも思うからです。

8年間おつかれさまでした。

 

 

 

今回、アンコール含めたライブ全編を観ていて最後に思ったのは、フロート(トロッコ?)に乗る機会がかなり多いんだな、ということでした。他のアイドルを追いかけている人なら特に感じないかもしれませんが、結構多いなと思いました。でもこれは、ある意味で言えば握手会の延長線にあるものなんだなという気がしたんです。

乃木坂というグループが握手会人気から写真集人気にも派生してテレビに出演する機会を得ましたが、ライブの人気もある程度は「近くで見られる」というのが前提にあるのかなと。それ自体に関してどうこう言うつもりもありませんが、ふと思ったのでここに記しておくことにしました。

君の名は希望」と「制服のマネキン」をどちらもやらないのは意外でしたが、もう今後はこうなっていくんだなあと一抹の寂しさも感じるライブになりました。

 

多少というか、かなり脱線しましたがこれで終わります。来年の夏はどうなるんでしょうか。ライブビューイングがあるんでしょうか。2017年の神宮はいつ映像として世に出るんでしょうか……? CSでもどこでも良いので放送してくれることを心待ちにしていますよ……。

 

高畑勲展をより深く楽しむための様々な知見

7月2日から10月6日まで『高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの』が東京国立美術館で開催されています。

高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの | 東京国立近代美術館

 

高畑勲という作家がアニメーションを通じてなにを考えてきたのか。そして、なにを表現しようとしたのか。多数の展示を通して知ることができます。

ただ、もっと知りたい人もいると思うので、そういう人のためにリンクを貼ってみようという試みです。気になった方はどうぞ。

 

 

live.nicovideo.jp

これは高畑勲宮崎駿、両巨匠の下で仕事をしていた片渕須直監督が展覧会を回りながら解説していくという配信でした。実際に仕事を共にしていたので実感のこもったお話を聞くことができます。片渕監督の後には大塚英志さんの解説もあります。

この配信は実際の展覧会を回っているので、かなり分かりやすく説明が入っています。観られる方はこれが一番おすすめなのでは。

 

 

www.tbsradio.jp

観られない方はこちらがいいと思います。高畑監督が亡くなった後、発信型ニュース番組に片渕監督が出演した回です。内容は多少、重複していますが、深い話を聞くことができます。

www.tbsradio.jp

ラジオクラウド限定もあります。

 

 

www.tbsradio.jp

こちらは展覧会のアドバイザーをされている叶精二さんの目線で語られる高畑勲展と高畑勲像です。展覧会の中身に迫った話をされています。

 

 

animation-nerima.jp

これは氷川竜介さんと原口正弘さんが高畑さんを語り尽くす内容となっています。全3回となっていて、お2人の視点が微妙に違うのが多角的な見方をもたらしていると思います。

 

 

【ファン必見】 細田守監督と宇垣美里が「高畑勲」を語る - YouTube

こちらは高畑勲展から広がる、細田守在籍時の東映アニメーションの姿や現役の監督から見る高畑勲という存在について語られています。上に挙げたサイトよりも美術に関する話が多く、その辺りが興味深いです。

 

 

animation-nerima.jp

サイト自体が少し重いかもしれません。高畑さんが入社した1959年の東映動画、その最初期の会社の成り立ちから原口さんが詳しく説明されています。高畑勲展でも初期の仕事から振り返る試みになっていますが、そこに繋がる話だと思います。

そこからサイトを遡り、虫プロの話を聞くのもアリかなと。

 

 

animation-nerima.jp

東映動画初期の作品を通じて、スタッフ一人ひとりの仕事にスポットライトを当てた解説がこちらになります。ここまで来ると少しマニアックかもしれませんが、ここまで興味の幅が広がる人もいると思うので。

 

 

style.fm

こちらはアニメスタイル編集長、アニメ様のコラムです。高畑作品では、『赤毛のアン』や『火垂るの墓』、『太陽の王子 ホルスの大冒険』が数項目に渡って語られています。これは、当時の目線と時間が経過した後の目線、色々な視点で語られているのが面白いです。上に挙げたお歴々の方々と比べて、アニメファン的な視点で語ってくれるのがとても読みやすく感じます。

 

以下は、ほとんど高畑さんとは外れますが面白い記事だったので記録用として貼っておきます。

www.nintendo.co.jp小田部羊一さんと『うごくメモ帳』篇

 

area.autodesk.jp

 

ざっと挙げるとなると、この程度の量になります。これ以外だと、文春ジブリ文庫や高畑さんが実際に書かれている本、追悼特集などになるかなと思います。展覧会の販売コーナーでも売られていたので、そちらにも時間をかけてみるのも良いかもしれません。

 

最後は、高畑さんの言葉で締めたいと思います。

 

 新しい表現というものは、多くの場合、経験済みの表現方法では間に合わないある「表現したいもの」が作り手のなかにはっきりとあり、それを具体的な「表現」としてどうしても成立させたい欲求にかられて無我夢中で悪戦苦闘する過程のなかではじめて生み出されるものです。(解説・高畑勲『「ホルス」の映像表現』アニメージュ文庫)

 

 

P.S

高畑さん的なことを考えれば、ある部分だけを引用するというのは憚られるのですが、どうしても最後は一文加えたかったのです。すいません。

 

『なつぞら』からトライアングルスタッフまで思いを馳せて

絶賛、放送中の朝の連続テレビ小説なつぞら』をちまちまと観ています。

久しぶりに朝ドラを観ています。なぜ観ているのか言えば、黎明期の東映動画を扱っているということに他なりません。

やはり、興味のある分野のことになると、食指は動きやすいですね。

黎明期というのは、どの分野でもそうだと思いますが、何かを生み出すワクワク感に溢れていて、安定するまでの過程は刺激的な部分しかありません。『なつぞら』に関して言えば「お仕事もの」よりも「ラブコメ」として観た方がいいなと思って、そういう目線で楽しく観ていますが。

 

東映動画の黎明期を語る上で欠かさない本に大塚康生さんの『作画汗まみれ』があります。

これは、当時の東映動画に活躍されていたアニメーターでもある大塚康生さんのエッセイになります。何度も形式を変えては出版されていて、東洋のディズニーを目指した東映動画がどういう道を進んでいたか、その中で働いていたスタッフはなにを考えていたか。アニメーションの歴史を語る上では欠かせない資料だと思います。

ただ、『作画汗まみれ』を読んだ後に思うことは、もっと他に黎明期の東映動画を語っている資料はないんだろうか? ということです。素晴らしい本には違いないわけですが、当時の東映の語られ方というのはこの一辺しかないのかな? と、思ったりもするわけです。

当時の東映動画のスタッフとして発言力があるのは大塚康生高畑勲宮崎駿の3人だと思います。このアニメージュラインの3人だけでも事足りるんですが、そこに対してもっと多面的に知りたくなるのがオタクというかマニアというか人間の性な訳です。

そういう時に重要な資料を残しているが『アニメスタイル』です。

正確に言うなら、アニメスタイルの雑誌の方ではなく、ウェブアニメスタイルのネットの記事の方になります。

ウェブアニメスタイルは色々と変遷を辿っていて、ここで指すのは今現在の『ウェブアニメスタイル』ではなく、その前の『旧ウェブアニメスタイル』でもなく、『旧旧ウェブアニメスタイル』のことになります。

 

この旧旧ウェブアニメスタイルには「 東映長編研究」というページがありますが、このページの持つ意味が『なつぞら』の放送によって、より大きくなっているように思います。

大塚・宮崎・高畑史観だけではない、黎明期の東映動画を多様的に語られるアニメスタイルの試みは素晴らしいことだと思います。

15年前当時、アニメ様や原口正宏さんがどのような考えで永沢詢さんや白川大作さんにインタビューしていたかは分かりませんが、「文章に残す」という意味は確実にあったはずです。

その当時は、森康二さんや芹川有吾さんが亡くなっていて、(特に芹川さんは高畑さんの師弟関係を取りだたされる昨今、その関係性を深く説明できる人や文献がなかなか見当たらないことを鑑みても)なにかに残すことは意識していたと思います。

「残すこと」の大切さというのは、他のアニメスタイルのインタビューでも感じるところです。特に、最近意義深いなと考えるのが、「マッドハウスの2度目の黄金期」にフォーカスを当てた取材です。

 

マッドハウスの2度目の黄金期」と呼ばれる時期の作品には、『夏への扉』や『浮浪雲』、『ユニコ 魔法の島へ』、『グリム童話 金の鳥』などが挙げられます。

これらの作品は、まずビジュアルとして見応えあります。美術とキャラクターが組み合わさった、レイアウトを含む「画」としての楽しさと面白さ。それらが上記に挙げた作品には同居していました。

昨今のディズニー作品を含む3DCGの流れ。その中で日本の作品はなぜ2Dアニメーションで物語を物語るのか? という疑問へのある種の回答になっているんじゃないかと思います。(飛躍した余談ですが)

この「マッドハウスの2度目の黄金期」を象徴とした作品群に触れた時*1、今の時代にそれらの作品を振り返るすべが不足してるんです。

そんな時、頼りになるのが「アニメスタイル」というわけなんです。

 

数年前まで更新されていた『旧ウェブアニメスタイル』の「アニメ様365日」には、当時の印象と振り返った時の印象。そして、どのように作られていたかの情報がある作品もあります。

東映動画に話を戻せば、『旧ウェブアニメスタイル』には虫プロの初期から作品に関わっていた山本暎一監督のインタビューもあります。

それらのインタビューを含めて(旧旧、旧、関係なく)『ウェブアニメスタイル』には資料的な価値が大きいものばかりです。

「残すこと」という活動においては氷川竜介さんや、その他にも有名な方は多数おられますが、今回は「マッドハウスの2度目の黄金期」に焦点を絞ってみました。

 

過去にあったものを記録として残しておく。そういった活動を見ていく中で、ある会社が頭の中に浮かびます。それが、トライアングルスタッフなんです。

トライアングルスタッフはこだわりの強いアニメスタジオとして、『serial experiments lain』や『ユンカース・カム・ヒア』、『おいら宇宙の探鉱夫』などの作品を作っていましたが、アニメの制作会社としては短い期間でその活動を終えています。

トライアングルスタッフは、マッドハウス出身の浅利義美さんが代表となって作られたということになっています。これを真に受けて考えるならば、トライアングルスタッフは「マッドハウスの2度目の黄金期」の制作スタイル、その空気や凝り方を受け継いだ制作体制があったのではと想像できます。

そして、その制作スタイルは(間接的かもしれないが)21世紀の劇場大作に繋がっている可能性があるといった旨のアニメ様のツイートもありました。

 それくらい、トライアングルスタッフというスタジオは短い期間ながらも個性を放ったスタジオであったように思います。

 

黎明期の東映動画の研究は、完全に網羅されているとは言えません。(そんなこと言ったらどこのスタジオもそうだとは思いますが、)芹川有吾さんなどもう少し文章として後世に語り継いでもらいたい方はいます。

トライアングルスタッフを挙げたのも、この光に当てられることの少ないスタジオの研究はもっとされるべきなのでは? と考えていることがあるからです。

そして、それを研究することが飯田馬之介監督や中村隆太郎監督といった、日常的に語られることの少ない演出家にスポットを当てることにも繋がると思っているんです。

そのどちらも停滞したまま失われては、なんともやるせない気持ちが出てきます。

こういう話を書いていくと、「じゃあ、お前がやればいい」みたいな言説が頭に浮かぶわけですが、自分には誰かを取材する人脈も方法も見当たりません。

 

曖昧な結論になりますが、なにをするにしても、なにかが起きることにしても、色々と不足してるものが多いなと感じています。

*1:まあDVDなどのソフト化に恵まれない作品だらけですが(泣)

アルコ&ピース考察

最近、自分の聞いているラジオ界隈でよく挙がる名前が、アルコ&ピースというコンビです。正確に言えば、「アルコ&ピース 平子」ですが、毎週必ずと言っていいほど聞きます。

その出所となるのが、『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』なんですが、そこで語られる内容が凄い面白いし興味深いんですよね。局のプロデューサーや人気の芸人から語られる平子さんの人物像を聞いていると、平子さん、引いてははアルコ&ピースというコンビがどう捉えられているのかを知ることなります。それを聞いていて、自分もちょっと語りたくなったので、ここに記しておこうと思います。

 

テレ朝の加地Pの次の週で、蒼井優と結婚した山里さんと比較して、平子さんは「プライドが高い」と言われていました。まあ、佐久間Pのネタトークの延長でもあったと思うんですが、「平子プライド高い」論調は、結構ネットでもよく言われる論調で。ただ、それはちょっと違うと思うんですよね。

平子さんが番組でボコボコに弄られておもしろいのは、あの大きな体とプライドが高そうな感じだから、おもしろさに繋がるわけで、ただプライドがない巨漢を弄ってもおもしろくはならないと思います。千鳥の大悟さんが言った「まず、デカいな」という言葉はかなり核心突いてる部分だと思います。


「変なセンス出してこようとする」という、もう一つよく言われる言説があります。

要は「平子る」と言われる部分で、ここが表裏一体なんですよね。「『平子る』はやめろ」とも言われますが、ここが平子さんの特性であって、あとはその「平子る」をどう調理するか次第だと思います。
そこで登場するのが酒井さんなんです。結局は平子さんは「アルコ&ピース 平子」であって、コンビにおいて平子さんを調理するのは酒井さんです。酒井さんの手に色々なものが掛かってると言っても過言ではないと思います。


アルコ&ピースというコンビの特性は色々なものがあると思います。個人的に思うのが、「ガチっぽい空間」を作り出せることです。これは、平子さんと酒井さんが同級生からコンビを結成してないことや、普段から特に仲が良いことを世間に見せないことなどから生み出されるものだと思います。
このガチっぽい空間が、「平子る」平子さんをボコボコにするリスナーのおもしろさや、平子さんにマウントを取る酒井さんのおもしろさ、引いてはアルコ&ピースのおもしろさにも繋がっていると思います。
平子さん自身は自分のことを「大ズラし」ではなく「小ズラし」の人間だと言うこともありましたが、そもそもそういう場所で闘っている人じゃないんですよね。アルコ&ピースというコンビの強みは「ガチっぽい空間」を作り出せることにあり、そしてそのガチっぽい空間における「状況のおもしろさ」だろうと。シチュエーションとも言えますが、『THE MANZAI 2012』の忍者になって巻物を取りに行くネタもそうですし、『ひろいき村』のドミノ企画もそうです。「ガチっぽい空間の状況のおもしろさ」が、どちらも上手く出ていたから印象に残ってるんだと思います。
アルコ&ピースというコンビの特性が最大限に発揮される媒体は、ラジオなんですよね。漫才でもコントでもテレビでもなく、ラジオなんだろうと。そう思うことは少なくないです。ラジオという密室空間は、情報が音しかありません。表情こそ見えないですが、そこにはガチでやり合っている様を想像できるおもしろさがあると思います。どんなふざけた企画でも聴覚媒体における情報の少なさと、2人の芝居の上手さやメール読みの上手さが、ラジオという媒体とコンビのおもしろさを最大限に活かしていると思います。多少褒め過ぎな感は否めませんが。
だからJUNKの枠に入れてあげてもいいのでは……、というところにも繋がります。(ANNも復調の兆しがある中でJUNKはどうなるんだろうという話はさておき)


こうやって書いてきて思うのは、やっぱり酒井さん次第でもあるのかなというところですね(笑)。酒井さんって、本音や本心が見えづらくて、攻撃されているときに本気で凹んでるのかネタで凹んでるのか分からないところがあったりします。平子さんほど弄られてるときの「叫び」がなくて、平子さんにずっとマウントを取られていると、やっぱり物足りなくなるところが出てきたりもします。
D.C.GARAGE』でもそういう状況に直面することがありますが、強く感じないのはスタッフワークの賜物だと思います。「平子さんが主婦から怒られた回」を例に出すと、マウントを取ろうとする平子さんをリスナーメールで庇う。平子さんが真相を離そうとするタイミングでCMに入ってしまう。『D.C.GARAGE』は、作家の福田さんやディレクターの石井さんの見事なスタッフワークが番組としての総合力の高さが生んでいるんですよね。
『ANN』から応援しているリスナーからすれば、収録放送の『D.C.GARAGE』は、ライブ感やリスナーメールのおもしろさが削られてると感じることもあるかもしれません。ただ、メールに頼らない2人だけの空間をどれだけおもしろい空間にするかという挑戦にも捉えられるので、個人的にはアリはアリだなと思ってます。(たまには特例でもいいから生放送をやってほしいですけどね)


アルコ&ピースさんの「ガチっぽい空間の状況のおもしろさ」が最大限に発揮されるのはラジオであり、生放送のラジオができる機会が増えればいいなあという結論は何週してるんだって話になりますね。ただ、佐久間Pや加地P、千鳥さんに言われるような部分を変える必要もないと思うんですよね。だって、そこは表裏一体、二律背反、どう転がるかだけなんです。ウケれば肯定されるし、スベれば否定される。ただ万能なプレイヤーではない以上、あとはどういう場所を与えるのか。そして酒井さんをどう活かすのか、そこだけだと思います。

今後、アルコ&ピースさんがどうなるかは分かりませんが、個人的には『チョコレートナナナナイト』がカギになってくるんじゃないと。ちょっと宣伝。

コンビのおもしろさがもっと知れ渡れば良いなあと思います。

2018年の乃木坂工事中を振り返ろう

2018年も終わりに差し掛かってくる頃合いですね。今年はグループ全体として色々なことがありました。それを一つずつ振り返っていくのも良いんですが、「アイドルのおもしろさ」をきっかけにグループを追いかけ始めたので、2018年の『乃木坂工事中』に焦点を絞って一年通して振り返っていければ良いなと思います。

 

今年の『乃木坂工事中』を振り返るとき、なにから振り返っていけばいいのか難しいところなんですが、今年の『乃木中』は2017年の年末から続いていた「3期生をどう組み込むか問題」に対して、どう解決していくかに挑戦した一年だったのかなと思います。

結構大きなポイントとしてそれがあるんじゃないかと。

 

「逃げ水」が発売されたくらいからだったと思いますが、「3期生+選抜」と「1期生+2期生」に分かれて収録が行われることが多くなりました。

基本的にはかわいい企画や三期生をフューチャーする企画を「3期生+選抜」。そうでない企画を「1期生+2期生」。そういった方針だったと思いますが、まあこれは番組だけでなくどこでも共通していたものだったような気がします。

顕著だったのが年末に放送された『妄想恋愛アワード2017』が「3期生+選抜」、年始に放送された『軍団全面対抗バトル』が「1期生+2期生」という括り。

そういった風にグループを分けて番組を作ることもありでしょうが、ただこれでは永遠に三期生が浮いた存在になってしまいます。そこで『乃木坂工事中』が考えたのが過去の名作企画のリバイバルだったように思います。(『妄想恋愛アワード』もそうですが、おもしろ成分低めなので)

リバイバル企画第一弾となるのが、1月21日放送『乃木坂 頭NO王決定戦2018』です。これは2014年に放送された『乃木どこ』時代の『頭NO王決定戦』で頭NO王となったまあやに2期生と3期生が挑むという企画でした。

一期生こそ、まあや以外の出番はありませんが(前半はまだある)、2期生と3期生が番組を通して画面に映るということは『乃木中』においては珍しいことだったように思います。

この後のリバイバル企画を纏めますと、「3期生+選抜」を中心とした『乃木坂バレンタイン2018』、『 ウチの子いいでしょGP 3期生編』が放送されました。

そして、それと同時に期別関係なく盛り上がれる企画を探していきます。『エイプリルフールバトル』、『買っちゃえ!スタジオ即売会』等がありましたが、特定のメンバーだけが目立ったり、企画性だけが盛り上がってあまりバラエティーな部分に繋がっていないように見えました。

そういった試行錯誤をしていく中で突如として『乃木坂工事中』にターニングポイントが表れます。それが6月10日放送『乃木坂駆け引き女王バトル 前半戦』です。

この企画の肝は、「大人気アイドルグループと呼ばれようが、駆け引きに敗れれば容赦なく罰ゲームを喰らう」ことにありました。

『乃木坂工事中』がある時期からアンケート主義的になってきて、それに伴いトークの上手さや、立ち回りの妙がピックアップされることが多くなりました。ただ、この回を観た人ならば分かると思いますが、それぞれのメンバーの個性やキャラクターを楽しむのがアイドルバラエティーのおもしろさだと思うんです。そして、それは他のバラエティーにおいても同じですよね。

『乃木坂駆け引き女王バトル 前半戦』はそんなことを思い出させてくれるような企画でした。的確にサソリの気持ち悪さを例えた川後陽菜。どんなに写真集が売れようともリアクションがおもしろくなってしまう白石麻衣。設楽さんを上手く使い罰ゲームを受ける松村沙友里。罰ゲームを受けた後に文句が多くなっちゃう桜井玲香。潔く罰ゲームを受け止める井上小百合。そして、全員が多数派になるよう誘導させた賢さを見せる中田花奈。そこに至るまで場を乱すに乱した和田まあや

この企画は一回戦二回線を2つに分けて、勝ったメンバーが決勝戦を行うということでしたが、一回戦だけで放送一週分すべて使うのは、あまりにも撮れ高があったからなのかと想像するほどでしたし、それだけ傑作回でもありました。

初期の『乃木どこ』時代にこういった体を張る企画は多かったように思います。ただ、年を重ねて、アイドルとしての立ち位置を作り上げていく過程でトーク中心やアンケート中心の企画が多くなっていました。体を使うにしても、ほどほどに。みたいな。

ただ、この回で分かったのは一周まわったおもしろさだと思います。「なりふり構わず必死だった頃を経て、落ち着いて大人になったメンバーが、また改めて企画に対して必死になる」。そういうおもしろさがあったんだと思います。汗をかかなきゃ面白いものはできない、そう言っていたアイドルの存在を思い出しました。

 ここからの『乃木坂工事中』はこの回を一つの理想として、企画を考え番組作りをしていたように感じます。『乃木坂グルメ食イーン決定戦』、『第1回 乃木坂46クイズ選手権』、『秋の芸術ゲーム大会 後半戦』。 兎にも角にも全身で番組を作ることを心掛け、それが直接のおもしろさに繋がっていたように思いました。

1期生だろうと2期生だろうと3期生だろうと関係ない。とにかく乃木坂46のメンバーが全身で全力で番組に取り組む。そうすることによって全メンバーが先輩後輩関係なく、フラットな立場に戻れることができました。そして、そういった「見やすさ」が2018年下半期の『乃木坂工事中』を覆い、個人的には楽しめた要因になっています。

『3期生代理戦争バトル』こそ謎の企画で少しの批判(ここまで来てまた三期生!?)はありましたが、それもこれも選抜メンバーを中心に「全身で番組を作ること」が主目的であって、3期生は後付けみたいな印象があったので特になんとも思わなかったです。むしろ合同卒業回へ向けての埋め合わせ感が。

 

2018年一発目の放送で設楽さんが過去の『乃木中』を振り返りながら「去年は何もやってないじゃん」と言ったのが印象的で。2017年はヒム子云々はありましたが通常のバラエティー回ではやっぱり印象が薄いんです。それだけ、3期生をどう番組に組み込んでいくのかに苦慮した一年だったのかなと。ただ、その甲斐もあって2018年は光明が見えてきたような気がします。

 

乃木坂の面々がゴールデン帯のバラエティーに出ることが多くなりました。でも、本当に各々の個性が出ているのか、疑問になることは多いです。結局はいつもの「落ち着きのある麗しのアイドルグループ」というイメージを崩せていません。ファンとしては、それで良いのかもしれませんが、個人的にはそれに未来があるのかは複雑になります。

ゴールデンの番組は沢山の枷の中で作られていて、そこで何かを出すことは難しいことなのかもしれません。ですが、川後が「乃木坂さん」発言の時、日村さんからアンダー良いねえ、と言われていたように、乃木坂良いねえ、とゴールデン番組で共演者の方から言われるのを見てみたいんです。でも、それも難しいんですかね……。

 

ひらがなけやきの番組が今年新しくできて、『乃木坂工事中』の後に二つの坂道シリーズの番組が続くことになります。色んな見方をされるでしょうが、『乃木坂B級ニュース大賞2018』で見せたような、今の乃木坂でしか見られない番組作りをしていってほしいですし、『乃木中』には王道の最先端を進み続けていってほしいなと思います。

2019年もメンバーとファンが笑い合えるような番組を週末に届けてほしいですね。

 

乃木坂46の現在地点

5月に乃木坂の顔でもあった生駒里奈が卒業し、12月には今の乃木坂のイメージを作り上げた西野七瀬が卒業を迎えます。卒業生が増えている今、乃木坂はどこに進んでいくのかひとつ考えてみる機会なのかなと思い、ブログに書いてみることにしました。

今後の乃木坂46がどうなるかは分かりません。ただ、未来は語れずとも今の現状を掴むことはできるはずです。今の乃木坂を見ていると、「見づらいな」という違和感を感じるところがそれなりに出てきます。

その違和感がどこから来るのか。そこの部分はきっと複雑なはずで、でもその複雑な部分を客観的にひも解いていけば今の乃木坂が立っている現在地が分かるかもしれない。それがこの記事の趣旨だったりします。

キーワードは、「三期生」「ビジュアルグループ」「音楽事務所」です。

 

まずはじめに「三期生」という存在を取り上げます。

「三期生」の存在は、今の乃木坂を語る上では切っても切れない部分です。橋本奈々未の卒業でもなく、生駒里奈の卒業でもなく、三期生の加入。これが大きなターニングポイントの一つだったと考えることが妥当かと思います。

三期生が加入して「三期生」という括りで取り上げられることは多くなりました。それは、今いる乃木坂46のメンバーが「乃木坂46」と括られるのとは別に、新しいグループ「乃木坂46 三期生」でも作られたかのような印象を覚えますが、それは今いるメンバーにないものを彼女たちが持っているから取り上げられることが増えたんだろうと思います。

「三期生」はフレッシュだ。とよく言われることが多いですが、正確に言うならば三期制がフレッシュなのは当然として、彼女たちの姿がアイドルとして真っ当な存在だからなんじゃないでしょうか。その「アイドル然」としている姿に若くて声の大きいファンは喰いつき、声高に支持をしているんだと思います。

じゃあ、一期生や二期生には真っ当なアイドルではないのかと言われれば、微妙だと答えざるを得なくて、そこが今の乃木坂を取り巻く難しさだと思っています。

つまり、今の作り上げられた乃木坂にいる一期生や二期生はアイドルというものをとうに通り越した、どちらかと言えばタレントに値する存在だと思うんです。それはそれで誇らしいことだとは思いますが、あどけなさやかわいらしさのある素人感の強い三期生と組み合わせると相性が悪いです。

アイドルというものが「発展途上の成長過程を見せるコンテンツ」と捉えた場合のアイドルの難しさというのは、自立したタレントなればなるほどアイドルとしてのアイドル性が喪失していくところで、今の一期生や二期生はまさにそこに直面してるように思うんです。

これは特に女性アイドルに対する世間の変わらないイメージであり、日本の文化や価値観に根付く根深い問題だとは思います。だからこそ、外番組での三期生の(あどけないかわいらしい)素人っぽい感じがウケているんだろうなと。そして、そういった部分が賛美されればされるほど、タレントである一期生や二期生は自分たちがアイドルであることを枷だと感じてしまう。そんなメンバーが出てくるのは当然なことのように思えてくるんです。

でも、世間の女性アイドルに対するイメージを変えながら登り続ける乃木坂を見たかったし、その可能性を感じた人もいるわけで、今の乃木坂を見ていると色々と考え込んでしまいます。もっと、どうにかならなかったのかなあ……と。

 

三期生が加入した時点で、今の乃木坂になる未来は確定していたのかもしれません。じゃあ、なぜあのタイミングで三期生が加入してきたのか。そこを考えていくために必要なのが二つ目のキーワードである「ビジュアルグループ」です。

時代をAKB48全盛期まで遡ります。あの時期、一気にアイドルグループへ駆け上がったことは色々な要因があると思いますし、色々なところで語られていると思います。個人的には「会いに行けるアイドル」という概念が新しかったのと、「代表曲」が上手く噛み合い、ゴリ押しとも叩かれる中で一気にテレビ番組で露出したのが大きかったのかなと感じています。

AKBをライバルとして生まれた乃木坂には「会いに行けるアイドル」という目新しさはなく、「代表曲」もありませんでした。そしてテレビメディアも上手く使いこなせている印象はありません。テレビメディアで過剰に露出しなかったからこそ乃木坂の乃木坂らしい空間が生まれたところではあるでしょうが、今の微妙な知名度にも繋がるところだとも思います。でも、ここは良し悪しかなと。

去年や今年がテレビを通じて乃木坂を大きく売り出すときだとは思いますが、テレビメディアはあの時代よりもさらに弱くなっていてAKBが出ていた個性を沢山出せるバラエティー番組は少なく、『SMAP×SMAP』や『めちゃイケ』もありません。あるのはVTRを見てなにかを喋るような情報バラエティーばかりです。しかし、そこでガツガツ喋って目立っては乃木坂らしいのか? という疑問も生まれてします。刺激と華々しさに満ちた芸能界(テレビメディア)と優しさと落ち着きのある乃木坂ではそもそもテレビの存在自体が上手く合わさらないのかなと思うこともままあります。

少し話が逸れました。とかく、あの時のAKBと今の乃木坂を比べてもあらゆることが違い過ぎるんです。じゃあ、どうやって乃木坂がここまで登ってきたのかと言えば、やはり「ビジュアルグループ」という側面がかなり大きいのだと思います。

 乃木坂がここまで大きくなった理由に「可愛いから」と答えたメンバーがいました。大きなブレイクポイントもなく、ゆっくりと大きくなっていった答えとしてここまで真理を突いたものもないかと何度も頷いてしまいます。

「代表曲」もなく過度な露出もなかった乃木坂のメンバーは、ひたすらに自分自身を磨くしかなかったんだと思います。しかし、その成果が「写真集売り上げNo.1アイドルグループ」や「ビジュアルグループ」という崇められる立ち位置まで成長する大きな要因になったことは間違いありません。

ビジュアルを褒められ持ち上げられることは、今までAKBのライバルグループというアイデンティティーしかなかった(と言っても過言ではない)乃木坂にとっては、ようやく自分たち自身を確立した瞬間でもあったように想像できます。

ただ、このビジュアルで人気を確立したことが三期生加入に繋がったとも思っていて、(乃木坂の運営が何を考えてるかなど知る由もありませんが、)「かわいい娘が人気なら、もっと増やしちゃえばいいじゃない」。そんな感覚で三期生の加入を決めたんじゃないかなと思ってるんです。これは安易なように考えられますが、結構深くも考えられるんです。

2015年2016年の乃木坂を今でも好きなファンはいるでしょうが、「ビジュアル」や「人間力」で登りきれた一番上の天井だったような気もしてしまうんです。だから、あのタイミングで三期生の加入に踏み切った(内情は分かりませんが)理解はできるんです。(個人的にはまだまだ登れたとも思ってまず)

じゃあなぜその2015年2016年の天井だと書いた時期のピークをもっと高くできなくなったのか。なぜもっと露出できなかったのか。そうすれば三期生の加入はもっと遅かったかもしれないのに、なぜなんだろう。そう考えてしまうことが個人的には多いですが、ここの理由として一番自分で納得できるのが三つ目のキーワード「音楽事務所」なんです。

 

ここまでくると陰謀論めいてきますが、つまり乃木坂の事務所は「音楽事務所ソニーであり、AKBの事務所は(各メンバーごとによって違うでしょうが)人気だったメンバーは大手「芸能事務所」であり、テレビメディアにおいて芸能事務所の方が力関係は強いだろうなというのはなんとなく想像できるものではあります。

そう考えていくとすべては繋がるような気がしていて。「音楽事務所」のアイドルグループが上に登っていくためには代表曲が必要でした。しかし、それを待っていても人気になるはずがありません。彼女たちは自分自身の研鑽を積むことを忘れませんでした。己を磨いていったメンバーはやがて「ビジュアルグループ」と呼ばれ、数多のアイドルグループの中で自分たちだけのポジションを築き上げました。そして、「三期生」という新たなビジュアルを手にしてますます高みを目指しました。しかし、大所帯のアイドルグループを見る世間の目はいつまでも変わることがありません。アイドルはタレントになる前の通過点。いつか卒業するもの。そういった固定観念があることくらいアイドルになる前から彼女たちは知っていたでしょう。しかし、代表曲もなく、目指す場所が高く、多かったメンバーにとっては、その固定観念をずっとしまったまま努力を重ねた日々だったでしょう。しかし、新しいメンバーが加わりました。アイドルとタレント。自分自身が目指す場所。アイドルという場所。色々なことを考えて卒業していくメンバーが決断したのが2017年2018年。そして今の乃木坂46の現在地点なんだと思います。

 

沢山のIfは存在するんですが、こうなった以上は仕方ないし、もう時は止まらないと。じゃあなぜ今こうなっているのかを考えることが必要なんだろうと思いました。色々な視点を持って照らし合わせていけば、不満は残るだろうけど多少は納得できることも出てくるだろう。そう思って書いてみた記事です。

1期生や2期生がどういうものを選ぶのかは分かりません。それは1つでなくでもいいはずです。彼女たちが選んだものを見て、自分の中で納得するまでは乃木坂を見続けていきたいなあと。そう願いつつ文章を締めさせていただきます。

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!