乃木坂46の現在地点

5月に乃木坂の顔でもあった生駒里奈が卒業し、12月には今の乃木坂のイメージを作り上げた西野七瀬が卒業を迎えます。卒業生が増えている今、乃木坂はどこに進んでいくのかひとつ考えてみる機会なのかなと思い、ブログに書いてみることにしました。

今後の乃木坂46がどうなるかは分かりません。ただ、未来は語れずとも今の現状を掴むことはできるはずです。今の乃木坂を見ていると、「見づらいな」という違和感を感じるところがそれなりに出てきます。

その違和感がどこから来るのか。そこの部分はきっと複雑なはずで、でもその複雑な部分を客観的にひも解いていけば今の乃木坂が立っている現在地が分かるかもしれない。それがこの記事の趣旨だったりします。

キーワードは、「三期生」「ビジュアルグループ」「音楽事務所」です。

 

まずはじめに「三期生」という存在を取り上げます。

「三期生」の存在は、今の乃木坂を語る上では切っても切れない部分です。橋本奈々未の卒業でもなく、生駒里奈の卒業でもなく、三期生の加入。これが大きなターニングポイントの一つだったと考えることが妥当かと思います。

三期生が加入して「三期生」という括りで取り上げられることは多くなりました。それは、今いる乃木坂46のメンバーが「乃木坂46」と括られるのとは別に、新しいグループ「乃木坂46 三期生」でも作られたかのような印象を覚えますが、それは今いるメンバーにないものを彼女たちが持っているから取り上げられることが増えたんだろうと思います。

「三期生」はフレッシュだ。とよく言われることが多いですが、正確に言うならば三期制がフレッシュなのは当然として、彼女たちの姿がアイドルとして真っ当な存在だからなんじゃないでしょうか。その「アイドル然」としている姿に若くて声の大きいファンは喰いつき、声高に支持をしているんだと思います。

じゃあ、一期生や二期生には真っ当なアイドルではないのかと言われれば、微妙だと答えざるを得なくて、そこが今の乃木坂を取り巻く難しさだと思っています。

つまり、今の作り上げられた乃木坂にいる一期生や二期生はアイドルというものをとうに通り越した、どちらかと言えばタレントに値する存在だと思うんです。それはそれで誇らしいことだとは思いますが、あどけなさやかわいらしさのある素人感の強い三期生と組み合わせると相性が悪いです。

アイドルというものが「発展途上の成長過程を見せるコンテンツ」と捉えた場合のアイドルの難しさというのは、自立したタレントなればなるほどアイドルとしてのアイドル性が喪失していくところで、今の一期生や二期生はまさにそこに直面してるように思うんです。

これは特に女性アイドルに対する世間の変わらないイメージであり、日本の文化や価値観に根付く根深い問題だとは思います。だからこそ、外番組での三期生の(あどけないかわいらしい)素人っぽい感じがウケているんだろうなと。そして、そういった部分が賛美されればされるほど、タレントである一期生や二期生は自分たちがアイドルであることを枷だと感じてしまう。そんなメンバーが出てくるのは当然なことのように思えてくるんです。

でも、世間の女性アイドルに対するイメージを変えながら登り続ける乃木坂を見たかったし、その可能性を感じた人もいるわけで、今の乃木坂を見ていると色々と考え込んでしまいます。もっと、どうにかならなかったのかなあ……と。

 

三期生が加入した時点で、今の乃木坂になる未来は確定していたのかもしれません。じゃあ、なぜあのタイミングで三期生が加入してきたのか。そこを考えていくために必要なのが二つ目のキーワードである「ビジュアルグループ」です。

時代をAKB48全盛期まで遡ります。あの時期、一気にアイドルグループへ駆け上がったことは色々な要因があると思いますし、色々なところで語られていると思います。個人的には「会いに行けるアイドル」という概念が新しかったのと、「代表曲」が上手く噛み合い、ゴリ押しとも叩かれる中で一気にテレビ番組で露出したのが大きかったのかなと感じています。

AKBをライバルとして生まれた乃木坂には「会いに行けるアイドル」という目新しさはなく、「代表曲」もありませんでした。そしてテレビメディアも上手く使いこなせている印象はありません。テレビメディアで過剰に露出しなかったからこそ乃木坂の乃木坂らしい空間が生まれたところではあるでしょうが、今の微妙な知名度にも繋がるところだとも思います。でも、ここは良し悪しかなと。

去年や今年がテレビを通じて乃木坂を大きく売り出すときだとは思いますが、テレビメディアはあの時代よりもさらに弱くなっていてAKBが出ていた個性を沢山出せるバラエティー番組は少なく、『SMAP×SMAP』や『めちゃイケ』もありません。あるのはVTRを見てなにかを喋るような情報バラエティーばかりです。しかし、そこでガツガツ喋って目立っては乃木坂らしいのか? という疑問も生まれてします。刺激と華々しさに満ちた芸能界(テレビメディア)と優しさと落ち着きのある乃木坂ではそもそもテレビの存在自体が上手く合わさらないのかなと思うこともままあります。

少し話が逸れました。とかく、あの時のAKBと今の乃木坂を比べてもあらゆることが違い過ぎるんです。じゃあ、どうやって乃木坂がここまで登ってきたのかと言えば、やはり「ビジュアルグループ」という側面がかなり大きいのだと思います。

 乃木坂がここまで大きくなった理由に「可愛いから」と答えたメンバーがいました。大きなブレイクポイントもなく、ゆっくりと大きくなっていった答えとしてここまで真理を突いたものもないかと何度も頷いてしまいます。

「代表曲」もなく過度な露出もなかった乃木坂のメンバーは、ひたすらに自分自身を磨くしかなかったんだと思います。しかし、その成果が「写真集売り上げNo.1アイドルグループ」や「ビジュアルグループ」という崇められる立ち位置まで成長する大きな要因になったことは間違いありません。

ビジュアルを褒められ持ち上げられることは、今までAKBのライバルグループというアイデンティティーしかなかった(と言っても過言ではない)乃木坂にとっては、ようやく自分たち自身を確立した瞬間でもあったように想像できます。

ただ、このビジュアルで人気を確立したことが三期生加入に繋がったとも思っていて、(乃木坂の運営が何を考えてるかなど知る由もありませんが、)「かわいい娘が人気なら、もっと増やしちゃえばいいじゃない」。そんな感覚で三期生の加入を決めたんじゃないかなと思ってるんです。これは安易なように考えられますが、結構深くも考えられるんです。

2015年2016年の乃木坂を今でも好きなファンはいるでしょうが、「ビジュアル」や「人間力」で登りきれた一番上の天井だったような気もしてしまうんです。だから、あのタイミングで三期生の加入に踏み切った(内情は分かりませんが)理解はできるんです。(個人的にはまだまだ登れたとも思ってまず)

じゃあなぜその2015年2016年の天井だと書いた時期のピークをもっと高くできなくなったのか。なぜもっと露出できなかったのか。そうすれば三期生の加入はもっと遅かったかもしれないのに、なぜなんだろう。そう考えてしまうことが個人的には多いですが、ここの理由として一番自分で納得できるのが三つ目のキーワード「音楽事務所」なんです。

 

ここまでくると陰謀論めいてきますが、つまり乃木坂の事務所は「音楽事務所ソニーであり、AKBの事務所は(各メンバーごとによって違うでしょうが)人気だったメンバーは大手「芸能事務所」であり、テレビメディアにおいて芸能事務所の方が力関係は強いだろうなというのはなんとなく想像できるものではあります。

そう考えていくとすべては繋がるような気がしていて。「音楽事務所」のアイドルグループが上に登っていくためには代表曲が必要でした。しかし、それを待っていても人気になるはずがありません。彼女たちは自分自身の研鑽を積むことを忘れませんでした。己を磨いていったメンバーはやがて「ビジュアルグループ」と呼ばれ、数多のアイドルグループの中で自分たちだけのポジションを築き上げました。そして、「三期生」という新たなビジュアルを手にしてますます高みを目指しました。しかし、大所帯のアイドルグループを見る世間の目はいつまでも変わることがありません。アイドルはタレントになる前の通過点。いつか卒業するもの。そういった固定観念があることくらいアイドルになる前から彼女たちは知っていたでしょう。しかし、代表曲もなく、目指す場所が高く、多かったメンバーにとっては、その固定観念をずっとしまったまま努力を重ねた日々だったでしょう。しかし、新しいメンバーが加わりました。アイドルとタレント。自分自身が目指す場所。アイドルという場所。色々なことを考えて卒業していくメンバーが決断したのが2017年2018年。そして今の乃木坂46の現在地点なんだと思います。

 

沢山のIfは存在するんですが、こうなった以上は仕方ないし、もう時は止まらないと。じゃあなぜ今こうなっているのかを考えることが必要なんだろうと思いました。色々な視点を持って照らし合わせていけば、不満は残るだろうけど多少は納得できることも出てくるだろう。そう思って書いてみた記事です。

1期生や2期生がどういうものを選ぶのかは分かりません。それは1つでなくでもいいはずです。彼女たちが選んだものを見て、自分の中で納得するまでは乃木坂を見続けていきたいなあと。そう願いつつ文章を締めさせていただきます。

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!