絶賛、放送中の朝の連続テレビ小説『なつぞら』をちまちまと観ています。
久しぶりに朝ドラを観ています。なぜ観ているのか言えば、黎明期の東映動画を扱っているということに他なりません。
やはり、興味のある分野のことになると、食指は動きやすいですね。
黎明期というのは、どの分野でもそうだと思いますが、何かを生み出すワクワク感に溢れていて、安定するまでの過程は刺激的な部分しかありません。『なつぞら』に関して言えば「お仕事もの」よりも「ラブコメ」として観た方がいいなと思って、そういう目線で楽しく観ていますが。
東映動画の黎明期を語る上で欠かさない本に大塚康生さんの『作画汗まみれ』があります。
これは、当時の東映動画に活躍されていたアニメーターでもある大塚康生さんのエッセイになります。何度も形式を変えては出版されていて、東洋のディズニーを目指した東映動画がどういう道を進んでいたか、その中で働いていたスタッフはなにを考えていたか。アニメーションの歴史を語る上では欠かせない資料だと思います。
ただ、『作画汗まみれ』を読んだ後に思うことは、もっと他に黎明期の東映動画を語っている資料はないんだろうか? ということです。素晴らしい本には違いないわけですが、当時の東映の語られ方というのはこの一辺しかないのかな? と、思ったりもするわけです。
当時の東映動画のスタッフとして発言力があるのは大塚康生、高畑勲、宮崎駿の3人だと思います。このアニメージュラインの3人だけでも事足りるんですが、そこに対してもっと多面的に知りたくなるのがオタクというかマニアというか人間の性な訳です。
そういう時に重要な資料を残しているが『アニメスタイル』です。
正確に言うなら、アニメスタイルの雑誌の方ではなく、ウェブアニメスタイルのネットの記事の方になります。
ウェブアニメスタイルは色々と変遷を辿っていて、ここで指すのは今現在の『ウェブアニメスタイル』ではなく、その前の『旧ウェブアニメスタイル』でもなく、『旧旧ウェブアニメスタイル』のことになります。
この旧旧ウェブアニメスタイルには「 東映長編研究」というページがありますが、このページの持つ意味が『なつぞら』の放送によって、より大きくなっているように思います。
大塚・宮崎・高畑史観だけではない、黎明期の東映動画を多様的に語られるアニメスタイルの試みは素晴らしいことだと思います。
15年前当時、アニメ様や原口正宏さんがどのような考えで永沢詢さんや白川大作さんにインタビューしていたかは分かりませんが、「文章に残す」という意味は確実にあったはずです。
その当時は、森康二さんや芹川有吾さんが亡くなっていて、(特に芹川さんは高畑さんの師弟関係を取りだたされる昨今、その関係性を深く説明できる人や文献がなかなか見当たらないことを鑑みても)なにかに残すことは意識していたと思います。
「残すこと」の大切さというのは、他のアニメスタイルのインタビューでも感じるところです。特に、最近意義深いなと考えるのが、「マッドハウスの2度目の黄金期」にフォーカスを当てた取材です。
「マッドハウスの2度目の黄金期」と呼ばれる時期の作品には、『夏への扉』や『浮浪雲』、『ユニコ 魔法の島へ』、『グリム童話 金の鳥』などが挙げられます。
これらの作品は、まずビジュアルとして見応えあります。美術とキャラクターが組み合わさった、レイアウトを含む「画」としての楽しさと面白さ。それらが上記に挙げた作品には同居していました。
昨今のディズニー作品を含む3DCGの流れ。その中で日本の作品はなぜ2Dアニメーションで物語を物語るのか? という疑問へのある種の回答になっているんじゃないかと思います。(飛躍した余談ですが)
この「マッドハウスの2度目の黄金期」を象徴とした作品群に触れた時*1、今の時代にそれらの作品を振り返るすべが不足してるんです。
そんな時、頼りになるのが「アニメスタイル」というわけなんです。
数年前まで更新されていた『旧ウェブアニメスタイル』の「アニメ様365日」には、当時の印象と振り返った時の印象。そして、どのように作られていたかの情報がある作品もあります。
東映動画に話を戻せば、『旧ウェブアニメスタイル』には虫プロの初期から作品に関わっていた山本暎一監督のインタビューもあります。
それらのインタビューを含めて(旧旧、旧、関係なく)『ウェブアニメスタイル』には資料的な価値が大きいものばかりです。
「残すこと」という活動においては氷川竜介さんや、その他にも有名な方は多数おられますが、今回は「マッドハウスの2度目の黄金期」に焦点を絞ってみました。
過去にあったものを記録として残しておく。そういった活動を見ていく中で、ある会社が頭の中に浮かびます。それが、トライアングルスタッフなんです。
トライアングルスタッフはこだわりの強いアニメスタジオとして、『serial experiments lain』や『ユンカース・カム・ヒア』、『おいら宇宙の探鉱夫』などの作品を作っていましたが、アニメの制作会社としては短い期間でその活動を終えています。
トライアングルスタッフは、マッドハウス出身の浅利義美さんが代表となって作られたということになっています。これを真に受けて考えるならば、トライアングルスタッフは「マッドハウスの2度目の黄金期」の制作スタイル、その空気や凝り方を受け継いだ制作体制があったのではと想像できます。
そして、その制作スタイルは(間接的かもしれないが)21世紀の劇場大作に繋がっている可能性があるといった旨のアニメ様のツイートもありました。
それくらい、トライアングルスタッフというスタジオは短い期間ながらも個性を放ったスタジオであったように思います。
黎明期の東映動画の研究は、完全に網羅されているとは言えません。(そんなこと言ったらどこのスタジオもそうだとは思いますが、)芹川有吾さんなどもう少し文章として後世に語り継いでもらいたい方はいます。
トライアングルスタッフを挙げたのも、この光に当てられることの少ないスタジオの研究はもっとされるべきなのでは? と考えていることがあるからです。
そして、それを研究することが飯田馬之介監督や中村隆太郎監督といった、日常的に語られることの少ない演出家にスポットを当てることにも繋がると思っているんです。
そのどちらも停滞したまま失われては、なんともやるせない気持ちが出てきます。
こういう話を書いていくと、「じゃあ、お前がやればいい」みたいな言説が頭に浮かぶわけですが、自分には誰かを取材する人脈も方法も見当たりません。
曖昧な結論になりますが、なにをするにしても、なにかが起きることにしても、色々と不足してるものが多いなと感じています。
*1:まあDVDなどのソフト化に恵まれない作品だらけですが(泣)