Base Ball Bearがたどり着いた『C3』という基礎編

 

  『Chapter3』という意味合いが強いらしい。

 

 4人組ロックバンドとしてのメジャーアルバム1作を飾った『C』、ギターロックバンドとしての矜持を見せた『C2』、そして新たに3人体制となってから初のフルアルバム『C3』。
 バンドの歴史を辿らなくても、『C3』を聴くことはできる。しかも、一聴すると今までと違いはないように聴けたりもする。が、やはり小さくも大きくも違いはあるように思う。そして、その違いを知っている方が色んな聞こえ方がするんじゃないかと。
 簡単に言えば、Base Ball Bearの歴史を少し辿ってみようという試みだ。
 バンドの歴史を語るとしても色々な角度から語ることができるが、今回はサウンド面から語っていきたいと思う。そこを掘り下げることが今回のアルバムの話に結び付くはずだからだ。

 

 Base Ball Bearは2001年に結成、2016年の15周年を迎えるまでは4人組のロックバンドとして歩みを進めてきた。
 当時はギターが2人、ベースが1人、ドラムが1人の4人体制。2016年に起きたことはギターを務めていた湯浅将平の脱退だった。では、湯浅将平がいた頃のBase Ball Bearとはどんなバンドだったか?

 

 ギターの湯浅将平がいた時代のBase Ball Bearを一言で言うならば「青春ギターロックバンド」と言ってもいいようなバンドだった。(個々の解釈はあるだろうが、大まかに言えばこうだろう)
 作詞作曲を担う小出祐介が生み出す詞世界と曲世界、そこに彩りを加える湯浅のギターが持ち味のバンドだった。

 ギターのフレーズをどちらが考えているかは分からない。が、4人時代の持ち味を支えていたのは間違いなく湯浅将平のギターだったろう。
 湯浅はどんな風にバンドに彩りを加えていたか。湯浅脱退時にサポートギターとして入っていたフルカワユタカに言わせれば、「感覚でやっていた」のが彼のセンスだったという。

 

 

フルカワ:湯浅はメロディのオクターブ奏法でやっていて、それがいいメロディだったりして、ベボベの曲の色付けになるんです。昔の甘酸っぱい通過音みたいなテンションを、あいつはナチュラルにやっていたんです。
フルカワユタカ×Base Ball Bear・小出祐介 いわくつきの出会いからサポートでの共演、互いの音楽観まで語り尽くす

 


 インディーズ時代やメジャー初期は、その時代にしか出せない甘酸っぱい感じや爽やかな感じをギターが彩っている。
 初期衝動のような時期を抜けて、Base Ball Bear玉井健二氏と出会う。以降、玉井健二氏はプロデューサーとして長く関わっていくことになる。
 「名前のない感覚」という衝動に突き動かされていた小出祐介にとっては大きな出会いだった。

 


小出 自分の中に渦巻いてるものがあって、それをがむしゃらにアウトプットしていた。その一方ですごく理性的に切り取っていた感じもあって。で、2ndアルバム(「十七歳」/ 2007年12月リリース)のタイミングでプロデューサーの玉井健二さんと出会って。玉井さんと僕の関係性って、プロデューサーとプロデュースされる人というよりは、師匠と弟子に近いものだと思うんですね。
(中略)
玉井さんと初めて会ったときに、玉井さんが僕に言ってくれたのは「君は名前のない感覚に突き動かされている。でも、それはすごくいい感覚だよ」みたいなことで。「言葉や音の選び方において、自分ではコントロールできない渦巻いている何かがあるにもかかわらず、それをうまく理性的に切り取って形にしている」と。「それができているから、こういう手法もあるし、こういう切り取り方もある。その技巧的な部分を磨けば、より曲が広がっていくから。それを僕が教えてあげる」っていう関係性だったんです。(Base Ball Bear「バンドBのベスト」&「PERFECT BLUE」インタビュー

 


 玉井氏からJポップ的な引き出しや音楽的な広がりを薫陶された彼らは2ndアルバム『十七歳』3rdアルバム『(WHAT IS THE)LOVE & POP?』でポップ路線に少し傾く。
 同時期、Base Ball Bearは映画主題歌やCMソング、アニメのOPというタイアップ作品を次々に発売して人気を拡大させ、ついには日本武道館の地に立つことにまで成長する。
 しかし、その積み重ねた自信は2010年の日本武道館公演で脆くも崩れることになる。
 日本武道館での公演を小出は後にこう回想する。

 

 

小出:僕らも初の武道館公演が2010年の正月にあったんですけど、そこで一度挫折したんですよ。学生時代からの地続きでずっとやってきて、大きくはないけどたぶん波には乗っていたんだと思うんです。それが、ライブの手応えが良くなくて目が醒めたというか、「俺、武道館で何やってんだろ」みたいな感じになっちゃって。それから、ライブのやり方がわからなくなるほどナーバスになって。その後、2011年の震災とツアーが重なってストイックになりすぎた結果、メンバーの仲がぐちゃぐちゃになって、空中分解寸前までいったんですけど、なんとか4人で踏ん張って、作品を作って、自分たちの苦悩ごと開放していくような方向に向かった結果、危機を脱することができたんです。

フルカワユタカ×Base Ball Bear・小出祐介 いわくつきの出会いからサポートでの共演、互いの音楽観まで語り尽くす

 

 


 2010年の年始に行った武道館公演で「目が醒めた」小出祐介は、自分たちの音楽に向き合うことを決める。その年の9月、Base Ball Bearは3.5枚目と称したアルバム『CYPRESS GIRLS』と『DETECTIVE BOYS』を2枚同時発売する。
 このアルバムには公開プリプロダクションという意味合いがあり、初のセルフプロデュースをすることで「今の自分たち」を作品として世に送り出した。
 そして迎えた2011年。バンドは結成10周年を迎える年だった。「10th Anniversary」をかがげて全国を回るはずが、東日本大震災の影響で公演の一部を見合わせ、中止となる会場も出た。音楽をやる意義を見出すのも難しい状況で、とにかく真面目にやらなくてはいけない空気感はバンドをどんどんストイックな状況へ向かわせ、アルバムの制作も重なり、メンバーはぶつかった。それが先述したインタビューの内容である。

 

 バンドは苦しい状況をを乗り越えて4thアルバム『新呼吸』を発売する。ここからギターロックバンドとしてのBase Ball Bearはまた一つ変化していく。
 2012年、2013年。シングル『PERFECT BLUE』を除けば、ミニアルバム『初恋』と『THE CUT』はコラボを主とした作品になった。これは自分たちの幅を広げるためでもあったはずだ。広げた音楽の幅をアルバムとして結実させた5thアルバム『二十九歳』は73分もの大作となった。
 『新呼吸』を発売した2011年から『二十九歳』を発売した2014年までの過程でフロントマンの小出祐介が考えていたのは自分たちのギターロックバンドとしての在り方だった。
 巷のギターロックシーンではフェス向けの楽曲に溢れていて、ある種それがテンプレート化されている。そして、ギターロックはある程度まで行けば結局はうるさくなるしかないのでは? 小出祐介は度々雑誌のインタビューや対談でギターロックの在り方を語っていた。

 

 様々な思惑で制作された『二十九歳』。サウンド面で言えば、ギターロックをやり切るということがコンセプトとしてあった。ギターロックを考え抜いたバンドが作った16曲には様々なオマージュが散りばめられた。そして、歌詞の面で言えば「普通」ということをテーマにして、とにかくコンセプト色の強いアルバムになった。
 同時期、Base Ball Bearはバンドとしてリズム隊が強さを持ち始める。特にベース関根史織の急成長にはメンバーも驚いたという。
 『二十九歳』の1年後にリリースされた6thアルバム『C2』は、結果的にBase Ball Bearの4人で制作した最後のアルバムになった。

 

 『C2』は重厚な作品だ。今までにはなかったファンクな感じ、ブラックミュージックのノリを加えたというアルバムは、今までの経験値に裏打ちされた充実の一作。今まで武器でもあり強みでもあったギターサウンドは(今までよりは)主張が抑えられ、カッティングが多くなり、4人全体のグルーヴワークで聴かせる曲が増えていった。
 制作時のエピソードとしてギター湯浅将平の不調が小出祐介の口から語られている。Base Ball Bearというバンドは基本的にすべてのアレンジを各メンバーに委ねられていることが多いが、湯浅将平のギターのアレンジが上手くいかないことが多かったという。それもあってか『C2』の表記の編曲欄にはBase Ball Bearではなく小出祐介単体の名前が表記されている。

 

 バンド充実の作品、『C2』を発売した3か月後。2016年のBase Ball Bearは「結成15周年」「メジャーデビュー10周年」という2つの周年イヤーを迎えていた。今後の方針を含めた話し合いをする予定だったスタジオ。そこに湯浅将平は現れなかった。連絡を取ろうとするスタッフやメンバーだったが、一向に連絡が取れることはなかった。
 後日、第三者を通じて湯浅と連絡を取ることができたが、本人からは今後バンドとして活動していくことができないという旨が伝えられ、事務所は「脱退」という形をとることになった。
 高校生の文化祭を機に結成したBase Ball Bear。15年という歴史を積み重ねたバンドから、湯浅はなにも言わずにいなくなってしまった。
 バンドは岐路に立たされる。残されたメンバーが出した答えは、「Base Ball Bearを続ける」ということだった。4人で回るはずだったツアーにはサポートメンバーとしてフルカワユタカが入り、バンドを活動休止することなく全国を回った。

 

 元々口下手だった湯浅がどんな理由で脱退をしたのかは分からない。
 メンバーの空気感が嫌になったのか。ギターや音楽に対しての情熱が失われたのか。自分のギターが必要ないと思ったのか。将来に対しての不安が生まれたのか。
 理由は枚挙にいとまないが、真実というものは分からない。湯浅将平というギタリストが脱退した。その事実しか残るものはない。

 

 スリーピースバンドになったBase Ball Bearは2017年に7thアルバムとなる『光源』を発売する。初めて3人で作った作品の制作を小出祐介は当時のインタビューでこう話している。

 

 

今回の作品をレコーディングするとき、圧倒的に最優先したのは、僕ら3人が心の底から「楽しい!」「新鮮!」って思えることをやろうってことで。それだけでアルバム1枚突っ走ったような作品なんですよ。とにかく今の自分たちが本当に欲しているもの、フレッシュに感じるものを作りたかった。1曲目の「すべては君のせいで」とかまさにそうで、サウンドのフレッシュさを目指すとかじゃなくて、演奏している僕らがもっともフレッシュにできる曲、「このコード進行、ウケる!」とか「このソロ、ウケる!」とか「なにこの音色(笑)」とか、そういう感覚を一番大切にしていて。音楽を作りながら、僕らが超笑っているような感じ。

Base Ball Bear「光源」インタビュー

 

 

 

小出 まず最初に街スタ(街中にある一般的なスタジオ)に入って3人で曲を作ると。それぞれが曲を持ち帰ってフレーズを決めてデータを送り合う。僕が制作ソフトを使って全体を組み立てる。そこからまた街スタに入って見直しをして、フルサイズを作り切る。そのあとデモもフルサイズにする。この段階でもうシンセなども入れてある。次は、レコーディングスタジオでそれぞれのパートの音を生音に差し替えて、歌もちゃんと録って、最終的なデモができる。そして、本番のレコーディングに入るんですが、前に録った最終デモのデータを使いながら録っていけるんですよね。つまり曲の全貌を把握しながら本番を録れるので、僕らもエンジニアさんもイメージがブレないわけです。そんな感じで、最初の曲作りから最後のレコーディングまで、まるで油絵を描いていくようだったんです。ちょっとずつ色を塗り固めていくみたいな。

Base Ball Bearがたどり着いた“2周目の青春”。3人体制で送り出すNEWフルアルバム『光源』を語る!

 

 

 

 「とにかくフレッシュに」「あえて外部の音も導入する」。3人になって体質変化が起きたことで『光源』は今まで以上に新鮮味のあるアルバムになった。サウンド面で言えば、全8曲中5曲にプログラミングが入っている。しかし、電子音まみれというわけでもない。バンド側のオーダーとしては「ちょっと古い感じ」「錆びついた感じ」といったこだわりもあり、スパイス程度に入れるにとどまった。アレンジは全て小出祐介が担当し、サブプロデューサー(役職上はCo-Produced)として玉井健二氏が入る編成になった。
 歌詞面で言えば、リアルタイムで感じていることを歌にするのではなく、「二度目の青春」をテーマにして過去を回想するような形で綴られているものが多くなった。
1曲目の「すべては君のせいで」ではキラキラとしたシンセサイザーが要所要所に入っていて、進化したBase Ball Bearの新たな青春像を示した。

 

 しかし、この路線はこの一作で区切りをつける。
 スリーピースバンドとしての道を歩むことに決めたBase Ball Bearは、ソリッドなギターロック、ギターポップを追及するために外部の音色を入れることをやめた。
 そして、2つのツアーを経た2020年。2年ぶりに発売したBase Ball Bearにとって8枚目のアルバム『C3』は、バンドが武器も鎧も脱ぎ捨てて、身のままで作り出したアルバムとなった。

 


プリミティブの意味を知る、Base Ball Bear『C3』感想

 

『C3』を聴いてはじめに思ったのは「プリミティブとはこういうことか」ということです。
小出祐介がことあるごとにインタビューで言っていたような印象がある「プリミティブ」という言葉、素材や素質といった意味らしいんですが、それはそのままこのアルバムを象徴しているなと思いました。
青春を感じさせていた湯浅将平のギターの音色はそこになく、プロデューサーとして関わっていた玉井さんもそこにはいない。本当に素のまま。プリミティブというのはこういうことかと。
一聴するとなにも変わっていないようにも思えます。鳴っているのは、ギターの音、ベースの音、ドラムの音、それだけなので。ただ、「ここまで変わったか」とも思えるんです。それが不思議と面白いなと。
今のBase Ball Bearに武器という武器はないのかもしれません。ただ、今のBase Ball Bearはどこまでも行けるのかもしれないと感じました。(スタンダード性だけなら世界にもいけるのかなあ、なんて)
最近はバンドサウンド+αが求められていて、そこにどんなアレンジが加えられるかが今風な音楽だと思います。ブラス、ストリングス、ピアノ、シンセ。でもそういうのじゃないんだなと。(なんならそれは『光源』でやってる)
「自分たちはバンドサウンドがやりたいんじゃなくて、ロックバンドでありたいんだ」と。そんなことを言っているようなアルバムだと思いました。
関根さんや堀之内さんが作曲に関わっているのも特徴で、そういったバンドの主体性が歌詞にも反映してるところは少し興味深く。ただ、今歌いたいことを歌っているというのは変わらずに、小出祐介小出祐介なんだなと。
Base Ball Bearは体系的に聴くのが一番だと思っていて。(基本的にどのアーティストもそうだとは思いますが)今後もっと広く知られるためにどうしていくかは、今現在の問題ではなく永遠に続く問題だとは思いますが、そこのところはずっと気になっていた部分でした。
(なんとなく書きはじめたら収拾つかなくなった)上にあるBase Ball Bearの自分的史観は、今気になったリスナーが「Base Ball Bear」というバンドの歴史を知る手助けになってくれればいいなあと思いながら書いてました。そうして歴史を知ればより『C3』や他のアルバムも色んな感覚で聴けると思うので。
散々書き続けてきた『C3』はスリーピースバンドになったBase Ball Bearにとって基礎編であり、今後はまた色々とその時々で変化していくのでしょう。
それを楽しみに待っていたいと思います。