AKBと欅坂に挟まれて生まれる乃木坂46のアイデンティティー

生駒の卒業発表ショックを未だ拭い切れてないんですが、納得できる想像をするしかないなと思いまして。ブログを更新しようと思います。
その想像のような妄想と、そこから連なるアイドルグループとしての乃木坂46。その乃木坂46の特殊性みたいなものを欅坂とAKBを比較対象にしながら書いていければいいなと思います。まあ、そんな大層なことじゃないですけどね。
※AKBと欅坂については疎いです。

初期の乃木坂はAKBがあることによってその存在を確立されていました。なんてたってライバルグループでしたから。ただ、乃木坂とAKBに明確の違いがあるのか問われると、難しいところはありますよね。
もちろん規模の大きさや活動形態が違うのは色々と理解していけば分かることですが、パッとテレビを見たときにアイドルに興味がない人の目線に立つと、どれも均一に見えるのかなと思います。極端に言えば女性集団でしかないので。
自分はAKBにハマるらなかったことは以前にも書きました。AKBが最盛期のときにMCや演者から弄られた時の「ちょっと待ってくださいよー」みたいなノリがかなり苦手だったんです。そういう芸人的なノリをアイドルがやる意味が分からなかったというのがあります。
でも、乃木坂にハマった今から思い返すと色々なことが見えてきます。AKBは乃木坂とは違い芸能人だったんですね。
乃木坂とAKBを比べたときに率直に思うのは乃木坂の素人さです。「大人しい」「清楚である」、今はこう称されていて、聞こえはいいと思います。ですが芸能人が大人しく積極的に番組に関わらないのはどうだろうと、初期の乃木坂を観ていた人は思った人も多いんじゃないんでしょうか。ただ彼女たちには彼女たちの事情があって、アイドルと言う道(芸能界)を選んだ理由があります。そして今、それが乃木坂の「大人しい」「清楚である」というアイドルが本来持っていた偶像さを得るに至り、今のグループとしての立場を確立していったんだと思います。
AKBと乃木坂の違いはこの芸能人っぽくない部分に多く起因するように感じます。AKB系列のグループにいるメンバーがそれぞれ芸能事務所に所属していることも二つのグループの違いを明確に表しているように思います。
安っぽい言葉になりますが、たとえ自分が所属するグループのメンバーに「絆」や「仲間意識」があったとしても、メンバーがバラバラの事務所に所属している以上は、AKBというグループが芸能界の通り道であるという認識を強くさせているように見えるんです。
元々が陰を持ったメンバーが多くいたとか、文化系であったとか*1、実際にいるメンバーが作り出した空気感というのは二つのグループの違いとしてあるんですが、そもそも成り立ちと構造が違うんです。
AKBが『総選挙』や『じゃんけん大会』とかをメディアで大きく取り上げました。そうしてマスに対し広く広く活動していたことに対して、乃木坂は全てが『乃木どこ』『乃木中』で収まっているように見えます。AKBはお祭りのように派手に行うのに対して、乃木坂は今でも選抜発表を厳格に行います。そいう違いも見え隠れします。これはAKBが代表曲と共にゴリ押しともいえるスピードで爆発的にメディアに出たことと、階段を一つ一つ登らざるを得なかった乃木坂との違いにも見えたりします。良し悪しどちらもあるでしょうね
初期の乃木坂はAKBのライバルグループということもあって、なにかとAKBと接点を作ったりしていました。ですが、グループの性質や雰囲気をつぶさに感じ取ってAKBと乃木坂の距離を離したように思います。これは好手だったのではないでしょうか。
ではAKBと乃木坂がアイドルグループとして全く違うかと問われると、「全く違う!」と断言できないことがもどかしくも面白い部分になると思います。

自分の中で乃木坂とAKBの一番の共通点だと思うところが、やはり「選抜制度」なんです。
大所帯グループは取り入れなければいけないシステムなのかもしれませんが、その「選抜制度」が乃木坂46というグループに数々のドラマを生みました。乃木坂における数々のドラマは「選抜制度」が作り出した要因が大きいと思うんです。
一つのグループが「選抜制度」で選抜とアンダーの二つに分けられます。選抜とアンダーに分かれるということは、自ずと隔たりが生まれます。その隔たりをそのまま放置していてはグループとしては二分化され乖離していくだけです。
言い方は少しおかしいですが、苦労すれば苦労しただけその人にドラマが付与されるのはどの時代どこにいても変わりはありません。NGT48で今センターを張っている荻野由佳もそうだと思います。どれだけ物語を背負っているか、それがアイドルにおいて重要な部分でもあると自分は思います。個人の物語がグループにどう溶け込んで、グループの物語にどう繋がるかは、たぶん前回の生駒の記事で書いた通りです。
話を戻します。「選抜制度」というものは、どんな事情で入ったどんなメンバーであろうとも等しく物語性を加える、ドラマ装置のような存在になっていたんだと思うんです。グループに隔たりを生み出して、アンダーのメンバーにとっては試練の壁のように立ちふさがっていました。
だから『乃木どこ』における「選抜発表」の回は、(安い言葉になりますが)色々な感動を生んたんだと思います。それは「選抜制度」がなければ起きなかったことでしょう。大所帯グループでアンダーや選抜という隔たりがあるにも関わらず一体感のある乃木坂は、すごいグループだと思います。だからグループ単位で好きな人が多くて、自分もその一人なんです。
乃木坂にはそういった隔たりと、それすらも感じさせない一体感が同居していました。今の乃木坂は選抜が固定化して、三期生が加入して、かなり歪な形のグループになっていると思います。これは後に捕捉しますが。
AKBは支店の増加や卒業生の増加により一つのグループとして見ることが難しくなってしまいました。その辺りが「選抜制度」をあまり機能していないような印象として残ります。

AKBは芸能的なアイドルグループで乃木坂は素人的なアイドルグループでした。
しかし今、乃木坂もAKBのような芸能的なグループになるような流れに入っている予感があります。そして、生駒の卒業がそれを決定づけるような気がします。

個人的に言えば、ずっとこのまま乃木坂の生駒として歩んでほしい気持ちはあります。色んな経験をして、それをグループに還元して、女性アイドルの卒業なんてふざけた概念は吹っ飛ばしてグループ全体で上り坂を進んでほしい思いもあります。ただ、乃木坂というグループがAKBから生まれた以上は、アイドルの卒業を肯定的に取らざるを得ない歴史があるとも思うんです。
これは妄想ですけども。乃木坂が仮に誰も卒業せずにこのまま活動を続けていったとして、じゃあ卒業していったメンバーはどういう風に見られるんだろう? そんな疑問が湧いて出ます。このまま乃木坂の人気が上がっていくとして、卒業したメンバーはドロップアウトしていったように見えるんじゃないんでしょうか。芸能界にいる限りは「元乃木坂」という言葉は付いて回ります。生駒はそういうメンバーを放っておけなかったんじゃないでしょうか。アンダーと選抜を繋いだ生駒が、乃木坂と卒業生を繋ぐ存在になるのなら、生駒の卒業もギリギリ納得できるんです。そんな妄想はダメでしょうか。まあ、かなり歪曲された妄想なのはそうなんですが。

自分が思い描いた、卒業なんて概念を吹き飛ばしグループとして一つに上っていくアイドルグループ。それに一番近いのは欅坂46なんじゃないでしょうか。
欅坂は乃木坂から生まれた存在です。一応は姉妹グループですから、メンバーの空気からグループへと醸し出す雰囲気は、AKBのような芸能的なアイドルグループではないと思います。どちらかというと、乃木坂のような素人的なアイドルグループの佇まいです。
AKBが素人からどんどん芸能的になり大きくなった物語があるとするならば、乃木坂は素人のまま大きくなった物語があります。欅坂はそのどちらの良いところも上手くすくったような印象も受けます。それは楽曲とパフォーマンスで人気を拡大していくことと、そこにいるメンバーが玄人に染まらない感じを保ち続けていることです。
欅坂のグループとして一つになって上っていくアイドル像は、AKBから生まれていたら無かったものだと思います。乃木坂というAKBの遺伝子を継いだ流れがあったからこそ生まれたアイドル像だと思うんです。だからAKBと欅坂は目に見えるほど無関係ではなくて、グループとしてちゃんとした流れがあるんですね。

乃木坂と欅坂は姉妹グループのような体裁ですが、厳密には違います。それが表れているのが、やっぱり「選抜制度」なんですね。欅坂は乃木坂よりもグループ内の格差がなく、全員が均等に並べられている印象を受けるのはそのせいだと思います。「選抜制度」がないのは乃木坂を見ていて色々思うことがあったんだと推察しますがどうでしょう。ただ隔たりがなにもないのでは、大所帯グループである必要性が薄れてしまいます。欅坂における隔たりというのは、センターとセンター以外のメンバーということになっているように見えますね。
乃木坂を見ていると、欅坂を羨ましく感じることが多いです。ただ欅坂の構造にも弊害があって、それはドラマが作りにくいことなんです。別にアイドルにそういうのを求めていない人はいいんですが、自分みたいな人間が熱心にハマらないのはこの辺りに要因があるのかなと考えたりもします。
欅坂の場合はアンダーのメンバーがいない代わりに、「ひらがなけやき」と呼ばれるけやき坂の存在があります。ただ「選抜制度」のない二つのグループには隔たりも糞もなくて、ただ単に別グループのようにしか見えないことが多いんですよね。それぞれのグループの一体感はあるんでしょうが、二つのグループを繋ぐものがないので、『けやかけ』をたまに観ますが二つのグループで一つの席を争っているようにしか見えなくて、お互いが損しているんじゃないかと思ってしまします。乃木坂における選抜やアンダーのように見てほしいんでしょうが、そこは上手くいっていない印象があります。

欅坂46平手友梨奈が右腕負傷、武道館3DAYS公演はすべてひらがなけやきに変更
https://natalie.mu/music/news/265091

平手の怪我で全ての公演がけやき坂に変更になりました。欅坂の大変な状況をけやき坂が助けるという構図を作りたかったのかなと、二つのグループの距離が縮まったエピソードとして位置づけたかったのかなと、見ていて思いました。ただまあ、これも一時的ですし、誰が観ても作為的あ、作為的って言っちゃったね。にしか見えなし、結局はあまり変わっていないような気がします。
欅坂のドラマ性は全てが平手に委ねられているきらいがあって、なにかあるとすぐに平手が話題になってしまっていて、ファンもどんな反応をすればいいか迷っているような印象があります。
平手の存在感が強くなれば強くなるほど、このままはずっと平手がセンターなのかという疑問が生まれ、それは付いて回ります。ただ、平手をセンターとは違うポジションについてもらうチョイスをすることは難しいんだろうなと、今の欅坂を観ていて思います。
今回の坂道AKBで長濱ねるがセンターを務めますが、それは別に坂道AKBでなきゃできないことではないです。欅坂でもやろうと思えばできることです。それをわざわざAKBの土壌でやるっていうのは、すごく図々しくも見えるんですね*2。結局は欅坂というグループが挑戦する意欲を持っていない、そういう風に曲解してしまいます。まあ、乃木坂も似たような状況なんですけども……。
仮に欅坂がこのままいけば、メンバーの卒業やそれに連なる加入を行わずに登っていくとができると思います。それはSMAPのような前人未到なことを女性アイドルとして成し遂げることになります。それは、自分が乃木坂で見たかったことなので、欅坂には嫉妬しちゃうぶぶんはありますね。でも、やっぱりAKBの存在から生まれた乃木坂には難しかったのかなと自分を納得させます。というか、このくらいの理由をつけなきゃ納得できないんですよね(笑)。
だから欅坂には頑張ってもらいたい反面、もっとできるんじゃないのかな、とも思ってしまうんです。乃木坂は「選抜制度」でアンダーや選抜を変えていくこと、センターが変わることによってグループの中にドラマがあることを提示しました。そして、そんな隔たりの上で一つになって進んできました。それは非常に大きな意義を持っていたと思うんです。だから自分は乃木坂46というグループを好きになった。そう思います。
欅坂にはそこの難しさがあります。平手がセンターとは違うポジションに付くことはあるんでしょうか*3。今のまま反抗的な曲ばかり歌い続けるんでしょうか。笑わないアイドルグループというイメージを変えずに行くんでしょうか。すぐに変えられることとすぐには変えられないことがあると思います。でも、どこか挑戦的であってほしいと願っています。
欅坂には色んなコンセプチュアルの形を見せつつ、数字を気にし過ぎた乃木坂のようにはなってほしくないなと思います*4

欅坂ばかり色々と言ってはいられません、乃木坂も同じですね。自分がさんざん語ってきた乃木坂の歴史と歩みに3期生を組み込めてませんから。3期生の立ち位置は未だ曖昧にぼかしフラフラとさせています*5
一体感のある3期生もいつかは選抜とアンダーに分けられるときが来ると思います。AKBとは違って事務所が一緒な分、行われていることはよりグロテスクです。でも、それが乃木坂なんですよね。それが何度も言うようにAKBから誕生した乃木坂の歴史なんです。もちろん中元や北野のように体調を崩してほしくはないですし、今のアンダーの存在感は昔よりもはるかに大きいです。
ここからまた妄想を書かせてください(笑)。
今もアイドルグループとして大きい乃木坂が、アンダーアルバムが発売された時にもう一回り大きくなるチャンスだと思ったんです。それは、選抜の影とも取られかねないアンダーが、6年間懸命に努力してオリコンの週間ランキング1位を取るまでに大きくなったことを外に発信するタイミングでした。
アンダーでもこんな魅力的な歌を歌っているんです。こんな魅力的なメンバーがいるんです。そうやってアンダーメンバーを外に発信することでアンダーという存在が大きくなるチャンスだと思いました。そうすることで選抜とアンダーがもう一回切磋琢磨、手を取り合ってもう一回り大きなグループになるタイミングがアンダーアルバム発売のタイミングだと思ったんです。でも主要な音楽番組にも出ずにふわっと終わりました。6年間の積み重ねを一気に放出する最善の機会のようにも見えたんです。ここでゴリ押ししなくていつするんだよ、そう憤りましたね。結局はけやき坂のアルバムを出すお膳立てをしただけで、良いように使われたなっていう感想しか最後は浮かびませんでした。

生駒が卒業を発表してもうボロボロで、なんとか卒業の理由を自分なりに探して、自分なりに納得しました。でも納得したところで、出てくるのは不満の方がやっぱり多いんですよね(笑)。このまま現状維持を続けるなら、少し気持ちは冷めるでしょうね。でも今までが近すぎたのかもしれません(笑)。
海外に出ることが挑戦することなのかなと、時々思います。多分それは、一期生に現状維持を感じさせない手段でもあるんだろうと推測してます。現状維持したら、やはり「卒業」の二文字が浮かんでしま能が乃木坂なので。
長々と書いてきて思ったのは、自分が好きになるくらい乃木坂は物語性を秘めているグループなんだということです。(変な味方してるなと思わなくもないですが)「やっぱ乃木坂だな!」、そう感じました。「やっぱり」っていう言葉が好きで、「色々と見てきたけど――色んな存在があるけど――」っていう文脈が詰まってるようで、『ダンケシェーン』の曲はスベッてると思うけど「やっぱ乃木坂だな!」のところだけは好きだなと改めて思いましたね*6。おわり。

*1:AKBの最盛期のメンバーが体育会系に見えた部分はあった

*2:AKB側からは売り上げが伸びるプラス要素。ソニー側からは自分たちのグループでできないことができるプラス要素。利害はかなり一致してますが、苦笑ですよね。

*3:生駒のように待望されながらもフラフラとポジションを彷徨う未来が見えなくもないです。

*4:これを書きつつ欅坂のブログを見てコメント欄がないことを知って驚きました。なら大丈夫かなと(笑) 

*5:ただこのやり方は非常に上手くいってると思います。気持ち悪いですけど。

*6:元ネタあるみたいですけどね。