生駒が卒業します。

生駒が卒業が発表しました。20枚目のシングルを持って卒業するそうです。芸能生活は続けるそうですが、乃木坂46としての生駒里奈は今年で観られなくなるということです。

今も心の整理がついてないというか、なんで卒業するのかなとか、「卒業」ってなぜあるんだろうかとか、心が渦巻いて渦巻いて仕方ないんですが、それも含めて文章に起こしていこうかなと思います。全然纏まってないんですが書いていきます。
そもそも「アイドルの卒業」という行事に対して否定的なわけです。
ここまで女性アイドルにハマるとは思いませんが、乃木坂にはそういう固定観念をぶっ潰してほしかったという気持ちがいまだあります。
生駒の卒業を発表して、その理由みたいなものも読みましたが、納得はできますが承服はできません。
一人の女性として自立したいとか、今の乃木坂は最強ですとか、そんなのは取って付けた理由にしか見えないんですよ。それは乃木坂でもできることじゃないの? と思ってしまいます。

生駒に救われてる部分っていうのは多々あって、いつもありがたいなと感謝しながら観ていました。
今年、アンダーアルバムが発売されました。乃木坂にとっては大きな意義のあることだったと思います。それは伊藤かりんも言っていたように乃木坂の全メンバーが音楽番組に出るのは難しいです。だけど、アンダーが文字通り下から底上げすることで選抜アンダーに関わらず音楽番組に出る。そして乃木坂がもっと大きなグループになる。アンダーアルバムにはメンバーのそうした思いが込められていると思っていました。
今、その目標が達成できたとは言いがたいです。でも全メンバーが笑顔で活動していってほしいという思いのある自分としては、意義のある挑戦だったと思います。まだMステの夢は諦めてません。
乃木坂全員で上り坂を登ってほしい。というのは自分の願いだけではないと思います。でも選抜制度の仕組み上、隔たりが生まれてしまうことはやむを得ないことでもあります。だから時折、上手く纏まってないんじゃないか? という思いが湧いてくる時もあります。アンダーアルバムが発売して、全体で上がっていく指針ができたんだから、もっと選抜アンダー関係なくアルバムを宣伝してもいいんじゃないかと思うんです。でもそういう発信はなかなか見れませんでした。
そういうとき、ブログで取り上げてくれるのが生駒なんです。別に取り上げなくても普通なんですよ。でもみんなで一緒に高みを目指していくなら、そこでアンダーにも気をかけてくれてもいいじゃないですか。ちょっとした話題でもいいから出してくれることが、観ている自分にとっては救いにもなるんです。「あ、全員でかけ上がっていこうと思ってくれるんだな」と感じることができるんです。
ずっと選抜でアンダーの経験もない生駒がアンダーの話題を出すのは多少の批判もあると思います。嫌みにも見られかねませんから。でも、それがあろうともメンバーを気にかけてくれるのが頼もしいし、生駒にしかできないことでもあると思います。
そんな生駒が卒業するわけです。なんでだろう、なんでこのタイミングなんだろう、なんで卒業という糞みたいな制度があるんだろう、色んなことを考えてしまいます。
「握手会を欠席してたのが予兆だった」「桜井のブログ内容は生駒について言及してたのではないか」とか愛もない糞みたいなオタクの推理はいらないんですよ。
ただ自分も色々思うことはあります。以下は、なんでこんなことが起きちまったんだという自分の偏見じみた妄想です。

今の乃木坂は過渡期も過渡期で、3期生も入ってきてこれからどうするんだろうという微妙な転換期であると思います。そんな転換期に対して生駒は自分の卒業をもって、新しいグループへの変化を円滑にして欲しいんだろうなと思いました。
生駒の日頃の言動や性格からしてグループを一番に考えてることはすぐに理解できます。繰り返しますが、そこが頼もしくもあり、いつもありがたいなと思って見ています。
3期生が入ってきたくらいから「世代交代」という言葉が囁かれ始めたと思います。その頃は特段ファンではなかったので状況を知りませんが、3期生は自分たちだけの曲をもらい、単独で色々と動き、ファンの輪は広がっていたように思います。
そういった動きの背景として、アンダーがやっていた全国ツアーにおけるタスクを3期生にも課したところがあったんだと思います。
アンダーメンバーが全国ツアーをやっていた理由の一つに、選抜とは違う方向から乃木坂を知ってもらうことがあったと思います。それはライブ公演という、アイドルにおいて一番下支えするものでグループの認知を全国に広げたかった。アンダーライブ全国ツアーには、そういう試みがあったと推察します。
しかし、選抜制度の仕組みを考えるとそれは難しい試みだったようにも思います。「アンダーライブの成功」というものを考えたときに、一番に思いつくのは直近の近畿・四国ツアーです。理由としてはアンダー楽曲だけで構成されたツアーであり、選抜の楽曲を一切使わないアンダーにしかできないライブだったからです。
アンダーメンバーが乃木坂の布教のために全国を回って、選抜楽曲ばかりをパフォーマンスしたところで、それはアンダーを応援するファンが納得しないだろうと思うんです。つまるところ、「アンダーライブの成功」とアンダーライブ全国ツアーに与えられたタスクは、微妙に入れ違っているんだと思いました。そしてそれは、選抜制度という仕組み上、起こるべくして起こったズレだと思います。
そういったズレを解消し、そのタスクを譲り受けたのが3期生の存在だったんじゃないでしょうか。三期生の外に向けたライブ活動は成功も成功で、大成功と言ってもいいような活躍ぶりだったと自分は見ていました。AGESTOCK2017やTIF2017では同世代の若者や動きの激しい地下アイドルファン*1を上手くすくっていったような印象があります。
3期生の立ち位置ならば、乃木坂のどんな曲を歌っても問題ありません。3期生楽曲も披露できるし、外向きの活躍は素晴らしかったと思います。
外に開かれた活躍は良かったと思いますし、運営様の狙いはしっかりとハマっていたんじゃないかと感じています。ただ、それが外から内に向いたときに、グループとして難しくなったというのはあるとんじゃなかとも思います。
『逃げ水』の選抜発表からその難しさが表面化していった気がします。二人だけ選抜に入れたまま、あとはアンダーに合流せずに三期生のまま別枠として待機させておきます。なぜアンダーに入れないんだという批判は少なからず古くからのファンは思ったんじゃないでしょうか。
結局のところ、3期生を乃木坂46というグループにどう組み込むのかを決め切れてない曖昧さがが外から垣間見えるんです。そして生駒の卒業発表まで来てしまった印象が自分としてはあります。

乃木坂というグループを考えたときに生駒里奈の存在感は強烈です。それはファンのみならず認めるところだと思います。白石と西野という人気メンバーをセンターに置こうが、三期生を前に出そうが、どうしても目を引き付けます。それは生まれながらにしての主人公気質、そしてたゆまぬ努力の賜物でしょう。
そして3期生へ転換を図っていく中で、生駒をセンターへという声は止みません。だけど、その「声」は変化していくグループの中にとっては必要なものではありません。見方を変えれば、生駒の存在が変化するグループを止めているようにも見ることができます。
生駒がどこまで考えたのか分かりません。そして、これらは偏見に満ちた推測です。
でも、自分には生駒が自ら身を引いたようにしか見えないんです。自分がこれ以上グループにいることが全体のグループとして考えたときにプラスにならないと判断したんじゃないかと思うんです。でも、それは寂し過ぎるんですよ。中元が最後のブログに書いてたじゃないですか、「あなたは必要な存在だよ」と。それは全メンバーに対して言った言葉だし、そのなかに生駒も含まれているものだと思うんです。
NOGIBINGO!9や年末の乃木中を観ていても、乃木坂は歪なグループになっていました。かわいらしい企画をする選抜と3期生、おもしろい企画をする選抜とアンダー、一つのグループが二つに分けられて活動をしていました。餅は餅屋と言えば聞こえはいいですが、結局は過去に戻った隔てられるメンバーたちです。それは自分が観たいものではありませんでした。自分はみんなでわちゃわちゃやってるのが観たいんです。
3期生はアンダーにも選抜にも隔てられず活動をしています。多少の批判はあるでしょうが曖昧にしたまま現状維持を続けています。その割には選抜メンバーが歌うカップリングでは選抜にいた中田と斉藤優里の代わりに三期生メンバーが入っていたりします。ここでやりたいのは世代交代じゃなくて、メンバーを追い出してるだけじゃないかと思ってしまうんですよ。
3期生が悪いと言ってるのではなくて、そういうことは批判や逆風覚悟でやるべきだと思ってるんです。隠れて隠れてやるのは卑怯じゃないですか。
TIF2017だって3期生だけでやるべきだったんです。そこに選抜メンバーが救世主のように現れてライブを盛り上げる。あまりにも過保護だなあと思っていました。
ここら辺に来るともうあとは運営様への八つ当たりと愚痴です。
3期生はバラエティーとかで頑張ってはいるんですが、3期生のやることなすこと1期生は「かわいいねえ〜」と誉めるだけで、その構図が気持ち悪くて仕方ないです。前もどこかのブログで書きましたが、「堀がセンターになったときは支えつつも自分たちが輝く意志やプライドがあったのに、大園与田がセンターになったときはすっかり見守りモードで冷めていってる」という意見をした人の言葉がしきりに頭をよぎります。内では仲良くやってるとは思いますが、外からはこう見えてしまいます。
今の1期生のメンバーはまるで保護者のようです。生駒は1期生と2期生は同士だと言いましたが、3期生とも同士と呼べる存在になってほしいんです。お互いがお互いを遠慮しあう今のような現状は観ていてキツイものがあります。去年の生駒の生誕祭で本人が言っていた言葉は*2、かわいい押しされてしまう3期生に対しての応援の言葉でもあったのかなと思います。(3期生だけではなく全アイドルに向けた言葉でもあったかもしれませんし、自分への意思表示だったのかもしれません)そうした言葉をかけてくれる生駒の存在はやっぱり大切な存在です。

結局、3期生の待遇すらも悩んでる中途半端な運営が、生駒や他のメンバーをちゃんとした場すら用意できないのが今の現状だと思います。だから1期生が保護者になるのも仕方ないことのような気もします。
枠がないなら作ればいいじゃないですか。別にどうということのないアイドルにならそんなことは微塵も思わないです。でも乃木坂じゃないですか。たかだか芸能的な通り道のようなアイドルグループでもこうは思いません。でも乃木坂じゃないですか。それぞれ各メンバーが物語を背負ってきて自分たちで乃木坂46という居場所を作り上げた。そんな乃木坂じゃないですか。卒業みたいなふざけた制度はぶっ潰せばいいんですよ。
乃木坂工事中だって一度に40人以上のメンバーを一度に扱えないなら1時間番組にすればいいじゃないですか。なんでそういう発想にならずに既存の枠に縛られたまま、それを広げようともせず、メンバーに退いてもらう。こんなの気持ち悪いですよ。
生駒はブログで「今の乃木坂46は最強です。」と言っていましたが、生駒がいる乃木坂が最強なんですよ。既存の枠に縛られたまま、新しい枠も作れない運営スタッフの怠慢を、なんでメンバーである生駒が背負わなきゃいけないんだと怒りが湧いてきます。というかもう色々と嫌になってきます。
生田がいつかの放送で言っていた、「何年後かの同窓会が楽しみ」という言葉が頭をよぎります。もう今はそういうタームに入ったのかもしれません。
アイドルファンの誰しもが色んな卒業を経験して、卒業することに対して肯定的になったり、そのもの自体に慣れていくのかもしれません。でも自分はずっと否定的に抗っていきたいと思います。
ソニーは自分たちが作ったアイドルグループがどれだけの可能性を秘めたグループかもう一回考えて出直してこいって話です。以上です。

*1:便宜上地下アイドルと言っただけです。地価も地上もないですね、すいません。

*2:アイドルってかわいい格好をして『ありがとう』って言っていればいいのかというと、私はそうは思ってなくて、しっかりと私達がアイドルしてのエンターテイメントを提供して、皆さんが支払ったお金以上の事を、これからも返していきたいと思っています。