文化系インターネット世界

最近、インターネットをウロウロしていると変なまとめブログだったりニュースサイトにすぐに行き着きます。そして、その記事内容に辟易することが多いです。本来の事実が歪曲されていて伝えられていたり、情報量だけで批判し合ったり。例えばスレッドを立てた人がなにかを主張したとして、それを真っ向から批判するレスが付く。それを纏めた糞まとめブログのなかでもその人への批判が起こります。『好きな格ゲー紹介します』というスレッドが纏められた記事に批判のコメントが多数沸きます。一人の価値観にそこまで言うか、一つの意見として楽しく読めばいいじゃないと思うことがあります。(まあ気分がどんよりとするので積極的に読むことはしませんが)
そこから離れたとしてもツイッターで小さな炎上騒ぎあったり、批判するものを批判し又その批判に対して批判する。なんか息苦しいなと思ったりします。

そもそも日本のインターネットは匿名性がかなり核になっていると思います。匿名性がなければ批判の応酬を見ることも今よりは少なかったはずです。そして、今のインターネットは場の立ち回り方が重要になってきている気がします。SNSという壇上の上で調子に乗ってしまうことがプチ炎上騒ぎになります。飲酒運転自慢のようなものがそれに当たると思います。どれだけインターネットという場の空気を読めるか。そして尚且つそこでハシャがないことがポイントだと思うのです。
そう考えていくと、よく炎上しているのは悪く言ってしまえばヤンキー*1に近い人間が多いと思います。なぜそうなるのか、一つには学生の頃にスクールカーストの上位にいたため場の立ち回り方が上手くないというのがあると思います。SNSという世界の仕組みが分かっていなく、時たまボヤ騒ぎを起こしてしまうのだと思います。
じゃあどんなに人間がボヤ騒ぎも起こさず空気を読んでいるかと言えば、文化系の大人しい人達です。そして、今のインターネットの空気の大元にはこの文化系の人達によって作られているのだとも思うのです。ヤンキーの反対でスクールカーストで下にいる人達ですね。
インターネットという裏の社会のようなもので語り合ったり愚痴を言っているのは、教室から外されて陰口を言っているイメージが想像に難くありません。そして、その真反対にいるのがよく炎上している人達です。体育会系の人達と言ってもいいと思います。
この文化系VS体育会系の構図がインターネットにはあるのではないかと自分は思うわけです。こじつけ部分もありますが。ブラック企業などを完膚なきまでに潰そうとする姿勢は体育会系というよりは文化系のネチッこさだと思うのです。そして、それはなにか炎上する事案が発生したときに氏名や住所まで特定するしつこさと同じです。正義感というよりは群れて楽しむ陰気さの方により目がいきます。芸能界のご意見番的なポジションにいる人も嫌われている印象があります。和田アキ子さんや島田紳助さん。
インターネット独自のノリという考えもあるかもしれませんが、インターネットを扱っている人が生身の人間であれば、やはりそういった空気というのは現実に元々あったものがインターネットへ流れていったと考えるのが妥当だと思うのです。元来、インターネットを作った人も頭のいい文化系の人であったとも思います。

日本のインターネットというものは先述したとおり匿名性から言ってもかなり異質なわけです。ですけど、その根本には文化系の空気を読めるしたたかさや陰気さみたいなものがあると思うのです。そして、そんな空気が元々日本人の持っていた陰気さに火を付けて多種多様の人たちをインターネットに引きずり込んだようにも思えます。だから、今のインターネットを扱っている人達は色々な人がいます。文化系だろうが体育会系だろうが多様性に満ちています。
しかし、誰であろうとインターネットの世界に足を踏み入れてしまったその瞬間に、人間の持つ陰湿さが浮き彫りになるのが今の日本のインターネット世界だと思うのです。

*1:分かりやすくカテゴライズしています