あの言葉から学ぶ 桂枝雀

「わかるとは、つまり分けることなんですね」


枝雀師匠には有名なマクラが幾つもあると思いますが、この言葉から始まるマクラも有名だと思います。どこで聞いたのかは忘れました。確か、BS朝日で放送した「君は『桂枝雀』を知っているか!?」だったと記憶してますが、勝手に頭の中で改ざんした可能性もありです。

なにかを理解するために、一番手っ取り早いのが分析することだと思います。それが、合理的かつ論理的に理解が進みます。
例えば、漫画を理解するには、漫画という物の性質を掴まなくてはいけない。だから、まずやることが分析です。ここでは分解といった方がいいかもしれませんが。漫画という物を作り出す要素を一つずつ分けていけばいい。漫画には、コマがあり、キャラクターがいて、背景があり、台詞がある。映画等のDVDに付いてくるブックレットや説明書は分析が入っているものがほとんどだと思ってます。多くの解説や説明は、それを一つずつ丁寧に述べているものだと思います。そういったものが増えている理由には、そういったものに筆者の考えや感情を必要としていないからなのかもしれません。まあ、実際はほとんどが解説には解説者の考えが全て載っているのもあるかもせいれませんが(そういうのが許されているのは評論家でない人かもしれない)、よく知らないんですいません。ただ分析が多いなと、感想ブログでもよく思いますね。自分の感情とのバランスが難しいんだと思います。
作品の感想で締められている。

人間は真実を求める生き物でもあると思います。自分たちがどこからやって来たのか、どんな性格のなのか、それを知りたくてしょうがない。自己分析という言葉がありますが、それもそういった知りたいという気持ちから来ているのかもしれません。沢山の情報の中で、確固たる何かを一つでも持っていたいのかもしれません。

好きなものがあるとして、自分が好きな理由の「好き」を分析するのがオタクだと自分は思ってます。作品の好きな部分を、どこが自分は好きなのかを分析するわけです。そして、その好きな部分を専門的に調べて好きを突き詰めていく。
なぜ自分が好きなのかも知りたくなる人もいるでしょう。

纏まりが付かないので、そろそろ終わりますが考えることが大切です。考えることが分析と同義ではないんです。分析することに終始しては面白くないです。分析することだけで満足せずに考えることが大切ですね。
ここまで分析することを分析してきました。癖なんですが、いつか治ることを期待してます。