【遊び】から【話し】から【喋り】

帰宅途中、最寄り駅で地元の友人に会った。久しぶりといっても二カ月振りくらい。

自分は前日から寝ておらず早く帰りたかったが雨が降っていて傘の無い友人と二人で雨宿りしながら帰った。

そこで思ったことは自分が話すことが好きだということ。

年末年始、友人はたくさん遊びまわったそうでウン万円吹っ飛んだとのこと(笑)

友人はとにかく遊ぶことを楽しんでおり、年中遊んでおり休みを知らない。

そんな友人のことを自分は「マグロかよ」と思うのだけれど。
止まったら死んでしまう的意味で。

年末年始は誰とも会わなかったなあ、と思い返す。
会っても自宅だったり、自宅ですることと言っても近況報告や雑談、昔話まで広がる「話し」それで6時間くらい。最近「遊び」には行かないなあと思った。よく「話す」けれども。
自分は「遊び」で友人関係が深まるとは思えない。やっぱり人と人が話すことで友人関係は深まるんだと思う。深まったうえで遊びに行くのは良いかもしれないですね。

なぜ飲みに行くか?って問いに酒を呑むと本心で人と会話できるってテレビで誰かが回答してた気が。
なるほど、とは思うけれどそれって酒に逃げてるんじゃねえの? とも思う。
なにも無い素の状態で色んな会話ができることが「話し」だと思うし、自分も色々な会話ができるように気がけて喋っているような。
まあ特定の状況下においてだけど。最近は相手が喋っているときに聞き手はどんな風に接したらいいのかも考えている。
理想の喋れる空間を作るのは難しい。それは相手にとっても自分にとっても。

中学時代ケータイでのメールのやり取りは危険だと教わった。それはメールが字面だけのツールだから相手の感情がはっきりとは分からずトラブルの元になってしまう危険性があるから、というものだった。
でもほとんどの人が「その程度の仲だったらメールすんなよ」と思うはず
ある程度仲良くなってきたらメルアドでもなんでも交換したまえ。友達の仲なんてメーターがあるわけじゃないし、どれだけ仲が良いかなんてわからない。
でもある程度分かるのが人間の良いところだと思う。

まあ自分の電話帳の人数が少ない言い訳ですね(笑)

友人関係については昔から色々と思ってたことだけど「話し」つまりは「喋り」に関しては、最近上岡龍太郎さんの動画を見ているからだろう。
いつかは上岡さんについて記事を作りたいけど内容がいまいち決まっていないので、まだ未定。でも期待しててほしい。

まとまりそうで纏まらない、まさに掃き溜めにふさわしい。